潮田健次郎「私の履歴書」

 今日は、一日家。単なる出不精である。花粉症との付き合い方も、だいぶ分かってきた。どうも、花粉がよく降ってくる場所があるのではないか。家にいても、一日2回は、犬の散歩に行くのだが、JRの線路沿いの土手へ行くと、てきめん、具合が悪くなる。思い起こせば、もう何年も前から、散歩でそのあたりに行くと、鼻水が出ていたから、徐々に花粉症になりつつあったのだろう。
 あとは通勤の途上。帰宅時の電車の駅あたりで具合が悪くなる。乗る駅か、降りる駅かは不明だが。奮発して、研究室用に、空気清浄機を発注しておいた。空気清浄機があれば、かなり症状が緩和されることが分かったから。
 病院には、2週間後に、と言われたので、熱が出ても、行かずに我慢している。症状を訴えれば、強い薬を処方されることは予想がつき、当座はよくても、いずれは副作用に悩むことになる気がするからだ。
 もともと、経験主義者だが、花粉症になって、やはり初めて花粉症の辛さが分かった。つい1と月前までは、人ごとに過ぎなかったのだ。


 さて、夜になってから、溜め込んだ新聞の切り抜きをした。普段はそんなことをしたためしがないが。お目当ては、日経の3月分に連載されていた潮田健次郎さんの「私の履歴書」。たまたま、3月13日のまんじゅうの湯気(労使交渉の話だったのだが)の回と16日のアルミサッシの話を読んで興味を持った。16日に驚いたのは、木製建具を扱っていた潮田さんが、これからはアルミサッシの時代だと考え、技術を手に入れるためにとった行動である。

 ある日、建材の専門紙に某造船会社が船窓に使うサッシの製造を止めるという記事が出ていた。すぐ新聞社に電話して同社の技術者のことを尋ね、江川初太郎氏という年配の人を技術部長として迎えた。江川氏は日本建鉄の出身で、サッシ製造に詳しかった。

 業界紙を読んでいて、こういう発想と行動に結びつくかな・・・と、強く印象に残った。1日分だけ、誤って古紙回収に出してしまった3月15日の話にも、感じ入るところがあったと記憶している。図書館でコピーしよう。