干潟合宿(1)

takibata2008-05-07

 今日は朝一で、近所の病院に行った。耳鼻科の先生は、2人おられるのだが、行く度に診断がコロコロ変わる。今日は、気管支炎とか言われたが、その割に、貰った薬は花粉症の薬と一緒だった。治ればいいやとは思うものの、なんか変。
 改めて、郵便物やらメールなどを開いてみて、前途多難な問題の数々にため息。
 
 ぐちモードはここまでにして、干潟合宿の回想録などを忘れないうちに。
 5月3日(土)、寝坊することもなく、新幹線に乗れた。自由席に隣接する車両だったので、新大阪駅で、乗降口までお客さんが溢れかえり、乗車も困難なほど。指定席車両の通路にも、自由席のお客さんが溢れ、トイレも行けない状態だった。自由席に近い車両ほど、まだしも席が取れた理由が分かった。
 さて、合宿の世話役を除く一般参加者は、59人申し込みで、実際に57人参加とのこと。バスの定員を超えてしまい、レンタカー2台を足してカヴァーすることになった。一般参加者は女性36人、男性21人、小学生からシニアまで、年齢層のバランスはいい感じではないだろうか。高校生のお兄さん2人が参加していたのが嬉しい。
 小倉駅からバスで、最初の観察ポイント、曽根干潟(福岡県)へ。ここで、先に現地に着いていたフェリー組と合流するが、フェリー組はすでに沖合に見える無人島ツアーに出掛けたあとで、う〜ん、無人島に行ってみたかったなあ。
 曽根干潟は前浜干潟で、沖の無人島に向かって、小さな海の中の道(海苔養殖のために造られた道と記憶している)が出来ていて、河口からの小さな水の流れも、干潟の中に出来ている。流れの中に生えているのは、ヒラアオノリとスジアオノリとのこと。紅藻のオゴノリは、翌朝の味噌汁の具になったが、たいへんおいしかった。
 流れの中は泥がよく固まっていて、比較的歩きやすい。道の右側は泥が深く、ずぶずぶとはまりやすい。右のだいぶ先で、Mさんが、「カブトガニ」と叫ぶ。そちらへ進もうとして、歩きだすと、たちまち、長靴が泥に沈んでいく。抜け出そうとして、尻餅をつき、早くも泥まみれに。ここで会得したのは、立ち止まらず、子どもたちのように、ひょいひょいと出来るだけ早く進むこと。小さなバケツを泥の表面に置いて、そちらにも体重を分散させながら前進して、やっとカブトガニのところまで到達した。
 道の左側では、チゴガニのウェイビング。おなかがきれいなコバルトブルーなので、教えて貰うと私でも簡単に見分けがつく。水の流れの中では、マメコブシガニも見た。小さなイシガレイの子も簡単に手で掬うことができた。どんどん沖のほうへ出て行ったが、無人島へはたどりつけないまま、集合時間になった。大きなカブトガニの新鮮死体や殻だけになったものを拾った人が何人かいて、裏をひっくり返して、説明してもらった。
 宿舎は、「福岡県立ふれあいの家京築」(http://www.kbc.co.jp/radio/powershovel/town/200005.html←このサイトに写真あり)で、最初に「入所式」があると聞いたのでびびった(国立何とかの家とか連想した・・・)が、お話担当の「先生」が何とも面白い人だったので安心した。台所に出たゴッキーの数を詳細に報告されるし、草むらに蛇が出るというので、N評議員は思わずガッツポーズ。この施設、福岡県民のみならず、県外者も無料で泊まれるという太っ腹な施設なのだった。
 入浴と夕食は、バスで数分程度の湯の迫温泉「太平楽」という施設へ。GW中で、脱衣場も洗い場も、文字通り芋の子洗いの状態だった。食事はバイキングで、地産地消とか。大変おいしく、量もふんだんにあり、人数が多いので争奪戦になると思いきや、次々に料理が運ばれてきて、みな満腹になることができた。
 宿舎へ帰って、観察会と写真の投影。I学芸員が熱心に説明して下さるのだが、連日の睡眠不足から、ついつい居眠ってしまった。
 干潟合宿とは全く関係ない話なのだが、この「太平楽」の受付においてあったパンフレットに苦々しい思いをした。Yちゃんが、読んで、と私のところに持って来たのだが、この温泉の名前の由来がイラストつきで書かれている。何でも昔、旅の僧が、この里で世話になったそうな。旅の僧はお礼に壺を置いていった。村で困ったときに、この壺を開けなさいと言い残して。やがて、村は飢饉で苦しみ、決まりの年貢は何とか納めたものの、食料は底をつく。その時、ふと旅の僧のことを思い出し、壺を開けてみたところ、中には一枚の紙切れ。その紙には、「奪わず、分かち合え」とか何とか書いてあったそうな。村人は、一揆を起こすこともなく、草木だかを取って分け合い、飢えをしのいだそうな。後日、お代官様が、この村の人たちを、よく頑張ったなあ、他所では一揆をする村もあるというのに、とコメを恵んでくれたとか云々。
 江戸時代の訓話をいまだに美談として語るとは・・・この国は戦後60年以上経っても、主権在民という発想がないのだと、あまりに腹立たしく、紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
 ということで、合宿1日目の思い出、終わり。

 写真は曽根干潟にて、流れの中を歩く(2008年5月3日撮影)