見学実習(兵庫県立考古博物館)

takibata2008-05-25

 昨日は、見学実習本番。あいにくの雨だったが、事故もなく、楽しく一日過ごすことができた。以下は、いつもと同じく極私的レポート(備忘録か)。
 下見と、打ち合わせの段階で、かなり細かく相談させていただいたので、充実した見学実習になった。N先生には、こんなに時間を割いていただいていいのかと思うほど、見学実習にお付き合いいただき、また、館内の皆様には、大変、親切にしていただいた。雨で、大中遺跡での移動に時間がかかったこと(復元竪穴住居の中に入っての説明だったので、33人が出入りするのに時間がかかった)ほか、うちの学生たちのウィークポイントだが、歩くの遅いというか、テキパキ行動に慣れていないので、時間がどうしても押してしまうのだった。学生30人(博物館実習生10名に、博物館学3受講生20人、引率2名で、バス1台)だと、移動時間の確保や、説明をよく聞きたい人は、学芸員さんにしっかりくっついていくことを最初に教えておくことが来年の課題か。
 今年は、博物館実習生に、干潟合宿のパンフレットを渡して、こういうの作ってね、と言ったら、当日、ちゃんと調べ物冊子を人数分、作って来てくれた。それで、行きのバスの中で、発表をしてもらい、コメントをしているうちに、早くも館に到着してしまった。
 播磨町郷土資料館を見学したのち、大中遺跡公園へ。復元竪穴住居の中に33人がすっぽり納まったのが、まず驚きだし、雨漏りもないのが、驚きだった。解説してくださったN先生、前日に館長先生から、復元が“どこまで本当なのか”をきちんと話すように言われたとのこと。復元はバーチャル・リアリティだとも。大中遺跡の整備にあたっては、委員会を作って検討した中で、時代の変化を示すのか、ある一日に特化して遺跡全体で同時代性を表すのか等を議論したとのことで、(ここで一瞬、私の注意が途切れて、大中遺跡公園はどちらに決めたのか、聞きそびれた)。
 雨で公園での昼食は断念して、展望棟に登った。下見のときに、上るのを忘れたので、ぜひとも上ってみたかったのだ。展望棟の上からは、屋上庭園が見える。公園も、屋上も弥生時代の植生を復元したとのことで、屋上はコウライシバとシソを植えているとのお話だったが、シソコーナーは、う〜ん、どれがシソかなあ。ぜひとも、近くでどんな植物が生えているのか、見てみたいものだ。大中遺跡公園のほうは、クスノキ(たぶん)の大木などが茂り、非常に魅力的なたたずまいだ。
 N先生は、この展望棟の上で、学生たちに、建築設計の、入札・プロポーザル・随意契約の3通りを説明して下さった。この館の環境調和型の設計は、プロポーザル方式だったとのこと。
 昼食後、まず、バックヤードツアー。学生たちのほとんどは、バックヤードに入るのははじめてで、いたく感激した様子。
 そのあと、組紐の体験学習。私個人としては、ここでの発見が今回の最大の収穫だった。3本の毛糸を使って、携帯ストラップをつくる試みだが、これをつくる過程で、学生たちの意外な側面に気づいたのだ。ボランティアさんが、大きな見本で実演指導をしてくれるのだが、その説明を見て、すぐに体得できる子と、なかなか理解できない子など、個人差がはっきり現れた。一人、あちゃー、と思うような格好で来た男子学生がいたのだが、その子が飲み込みが一番早く、他にも、えてして宿題を真面目に出さない組の圧倒的勝利。人の能力とは多元的なものだと、改めてつくづく感じた次第。
 そのあと、1時間ほど、自由見学。そしてN先生に展示のコンセプトを解説していただき、ほぼ、時間通りの終了。Q&Aの時間はほとんどなくなってしまったが、学生たちも、いざ、質問となると、手が挙がらないのだった。
 帰りのバスの中、学生たちに一言ずつ、感想を言ってもらった。ハンズオン賞賛が圧倒的多数を占め、認知心理学を勉強しているから、その点からも興味があったという感想は、おそらく、展示室内でのN先生の「瓦のすごろく」の「企画段階評価」の話が印象に残ったのであろう。残り半分は、バックヤードをはじめて見せてもらって、貴重な体験だったという感想。教員がひねくれ者なのに、学生たちには感染していないのが、不思議といえば不思議。T先生とは、「都」の定義って、何なんでしょうね、とか言いながら帰った。N先生は、瓦のパズルのところで、皇居の話をされていたが、T先生は、対田舎ではないか、とか。「みやび君とひなび君」という同級生の教育社会学の授業での発表(ブルデュー理解の日本バージョン)を思い出してしまった。
 つらつら思うに、展示のコンセプトが、どの段階でどのように決まるか、は、非常に興味のあるところである。今回は、N先生に、公式見解を教えていただいたように思う。私が気にした各時代の「身長比べ」の部分は、“身長を比べることで、(古代を)身近に感じてもらいたい”、という説明だったが、私はどうしても、なぜ、江戸時代の身長が一番低いのか、気になって仕方がない。大人向けに、もう少し手がかりを示していただけると嬉しいのだが。
 雨の土曜日の午後で、廊下を子どもたちが、賑やかに走り回っていたのも印象的だった。子連れには、気兼ねなく行ける博物館だろう。
 写真は、兵庫県立考古博物館の展望塔から眺めた屋上(2008年5月24日撮影)。