「地方財政問題と男女共同参画を考える」(2)

 昨日の続きを。神野直彦先生のご講演をのうち、私が興味を持った部分のメモで、聞き間違い、思い違いもあるかもしれない。()内は、メモになく、あとで想像で補った部分。文責は私、瀧端にある。

「財政」とは、日本人が作った言葉で、江戸時代までは「財政」はなかった。徳川家の財政は、プライベートの家計、私的家計だ。
 “Public Finance”のpublicという概念は、日本人には分かりづらい。Publicとは、すべての社会の構成員が排除されない、排除されてはいけないという(考え方で)、ゲーテは公園を作ったが、公園の思想は、(すべての人に庭園を解放するという思想だ)。(その思想を受けて)、すべての学術を解放しようとして、博物館・美術館を作った。イギリスでは、大英博物館は無料だ。

 “ゲーテと公園の思想”というのは、初耳。それと公共ミュージアムがつながっているのか? これも初耳。神野先生の『財政学 改訂版』(有斐閣、2007)を見たら、17頁のCoffee Breakに、「公園の思想」が掲載されていた。“ゲーテと公園の思想”を指摘したのは、宇沢弘文さんだと書いてあった。

 公の概念の理解には、“ラーゴン=ほどよい”というバランスを重視することが(大切だ)。財政学<市場経済と公の経済はバランスが取れていなければならないという考え方>は、ドイツで誕生し、新古典派が現在主流だが、19世紀の末に世界を席捲して、アメリカでは制度学派が誕生した。ヴェブレンや、ガルブレイスで、ガルブレイスは『ゆたかな社会』の中で、「ゆたかな市場」と「まずしい公」の社会的アンバランスが、新しい貧困を生んでいくと論じた。
 “オムソーリー=悲しみを分かち合うこと”、悲しみを分かち合うために、社会サービス(医療や教育や福祉)を。「小さな政府」か「大きな政府」か、という議論があるが、これは、租税負担が大きいか小さいかではなく、強制力を行使することが唯一認められている税負担で、オムソーリーまでやることを「大きな政府」と言う。これからの統治は、文化・福祉目的を重視して、(貧困を)予防する方向に転換する必要がある。(それが)19世紀の財政学の考え方で、悲しみを分かち合うのが、租税だ。
 経済主体には、家計、企業、政府の3つの主体があり、借金もそれぞれに違った意味を持つ。大阪府では、(府の財政を)家計と同じように説明がなされているが、府の借金は家計の借金とは違う。
 借金の返済のために、売れるものは売っていけ!というのは、借金を取り立てる側の論理だ。借金をした側の論理は、利払いを小さくして、借金を返しつつ、いかに人間的な生活を維持するかだ。高い金利で借りていた借金を、安い金利に切り替えようとか、長期で借りてくるようにしようという工夫をして、生活費、教養費を生み出していこう、というのが、借金をする側の論理だ。大阪府では、知らないうちに論理がすり替えられている。
 企業や家計の運営では、収入が先に決まるが、政府は、国民の共同事業をやる方だ。どこまで管理組合がやるのか、(と同じように)、支出が先に決まる。どれだけのことを、公共サービスでやるか、どれくらい共同負担するのかは、政治過程で決まる。どういうサービスをオムソーリーしていくのかで、負担が決まる。
 日本だけが、予算を法ではないと考えている。他国は1年税主義で、歳入法、歳出法を(毎年、議会で承認する)。日本は予算は法ではなく、永久税主義*で、納税義務要件があると、全部取られてしまう。税でどこまで負担するかは、住民が決めること。「入り」が先に決まるという論理が飲まされると、税収は、経済成長すると増えるが、税収が入る限り、使いまくっていいのか、という話になる。

*注:「予算を法律として定めるという形式を採用していない日本では、所得税法という法律が成立してしまうと、その法律が存在する限り、永久に納税する義務を負う。このように予算とは区別された法律で課税する方式を永久税主義という。」(神野『財政学 改訂版』91頁)。

 租税収入の範囲内で、というのは、もともと予算を組めない。公債(借金収入)を発行しないで、予算を組むことはできない。「収入のうち、どれだけ地方債で賄っているか」を「財政赤字」とは言わない。「財政運営上の赤字」だ。地方債を発行していないところはないから、地方債の発行自体は、問題にならない。予算を決めたときの支出には、扶助費、人件費、公債償還費などの「経常的経費」と、「資本的経費」の2種類がある。
 決算をしたとき、政府予算は必ず黒字になる。歳出は、上限を決めているだけで、1円たりとも上限を超えることはできない。残すのはOKなので、予算は必ず残る。黒字の部分は、国は減債基金に回す。決算をして黒字にならない場合、税収が見込み違いで赤字になってしまうほど入らなかった場合には、補正予算を組む。「決算上の赤字」を「実質収支」という。税収が足りなった分は、国は、建設国債を発行する。
 自治体はこうはいかない。見込みどおりに地方税が入ってこなかった場合、地方は歳出を削れない。国に義務付けられた(仕事)があるからだ。足りない部分は、許可制で、「調整債」を発行する。地方財政法5条に、資本支出の範囲内ならOK、しかし、調整債は、経常的なところまでは発行できない、と書かれている。 経常経費の部分まで(割り込んで)、「決算上の赤字」を出しているのは、大阪府だけだ。繰上げ準用で、(赤字を)次の予算に回すのは、財政民主主義に反する。準用は問題ではないが、一定割合を超えると、財政再建団体になる。「決算上の赤字」は、大阪府だけでなく、過去に東京都、愛知県、神奈川県が出しており、時々あることだ。(以下、続く)

 終わりから3段落目、政府予算のところは、すっきりとは理解できなかった。ちょっと疲れてきたので、一旦休憩。ツルムラサキでも炒めよう。


【午後追記】
 地方財政法第5条を開けてみたが、「調整債」そのものズバリを見つけることはできなかった。そこで、『地方自治の現代用語』(学陽書房、2005)を引いてみると、「地方債」の項目に次のように書かれている。同様の文面が、執筆者の澤井勝先生のサイトにも掲載されている。そこから引用。

地方債を起こすことが出来る事業は、地方財政法第5条によって、次の五つの場合に制限され、経常経費等の財源としては認められていない。非募債主義の原則とも言う。
一、交通事業などの公営企業に要する経費、 二、出資金、貸付金の財源とする場合、 三、借換債、 四、災害復旧事業費に充てる場合、 五、地方税の徴収率が一定以上の自治体は公共施設の建設事業の財源とすることが出来る。

 つまり建設地方債が原則なのである。ただし、この原則には、地方税減収補填債、減税補填債、退職手当債などの経常経費に充当する例外がある。また交付税財源の不足を補填するための財源対策債、調整債などや、国庫負担金の代わりとして発行される臨時財政特例債、特定資金公共事業債(NTT株売却益の利用)などもあった。http://www.zaiseijoho.com/deco/deco_t-4.html

過去のものとも読めたので、「調整債」「廃止」で検索をかけてみると、次のようなファイルがヒットした。「平成16年度地方債許可方針等について」http://www.chihousai.or.jp/cgi-bin/shicyouson/pdf/040603001.pdf

7 調整(不交付団体分)
調整債は、不交付団体への資金手当として、1.国庫補助負担金の一般財源化に伴う影響額、2.税制改正に伴う影響額等について措置するものであるが
、平成16 年度については、所得譲与税及び税源移譲予定特例交付金の創設等により、不交付団体にマイナスの影響は生じないものと見込まれ、調整債を措置する必要がないため削除した。

とある。(H16=2004)

 では、近年はどうなのだろうと思って、『地方財務』バックナンバーを探したところ、2008年4月号に「平成20年度 地方債計画の概要」が載っていた。55頁の表の中に、「9 調整(不交付団体分)」として、平成19年度、20年度ともに、計画額50億円が上がっていた。

 なお、『図説 日本の財政 平成18年度版』(東洋経済新報社、2006)を見ると、「平成18年度より、地方債許可制度が廃止され、協議制度へと移行した」とある。ただし、「実質収支の赤字が一定以上大きい団体、公債費等の比率が一定以上の団体、赤字公営企業等は、地方債を発行するときは、総務大臣の許可を受けなければならないこととして、早期の財政健全化への取組みを促すための早期是正措置を導入することとしている」(233−234頁)とある。