「地方財政問題と男女共同参画を考える」(3)

 復習をすると、どんどん分からないことが出てくる昨日の講演会だが、めげずに続きを。

 「財政健全化団体」はイエローカードで、健全化計画を立てて、議会、知事の話し合いで調整する。今の大阪府は、このイエローになる危険性があると言われている。「財政再生団体」はレッドカードで、国が義務付けている仕事しかできず、独自事業ができなくなる。地方団体は、これはいやなので、その前にどうにかしようとする。
 財政が破綻すると、何が大変なのか? 財政が破綻する前に、独自事業を止めるし、結果は同じ。どっちがいいか? 破綻したほうがいい。何を破綻を恐れるのか?
 ニューヨーク市は、(市を)破綻させた。(公務員を)一回、クビにできる。雇い直しで、労組との関係が大変だ。ニューヨークは、警察官の数を半分にし、ゴミ処理の回数も半分にした。そうすると、市民から、増税をしてもいいから(元に戻してほしいという声が出る)。破綻させたほうがましで、あとにやるか、先にやるかの違いだ。最初から破綻させればいい。破綻したほうが、国のほうが温情がある、ということもある。

 増税しないと、サービスは維持できないというお話?? このあと、国債の話。少し省略。ジュニア新書、130−137頁の内容。

 国債は、理論的にも歴史的にも返したことがない。経済成長で(実質的な返済はない)。イギリスの19世紀の国債はコンソル(永久債)といって、元金は返さないけれど利払いはするという国債だ。
 (内国債の)借金で潰れた国はない。国の財政(赤字)は、日本銀行がインフレ(政策をとれば、1万円札の)輪転機を回せば、解消できる。“みんなで渡れば怖くない”。
 もう一つの国債の返し方は、一回限りの財産税をかけることだ。これは、リカードが主張した方法だ。明日にでも、日本の国債はパーにできる。税率100%の国債保有税をかければ、若干の経済的混乱は起こるかもしれないが。
 大阪府輪転機を回せない。日本は外債を発行していない。外債発行で財政破綻して起きたのがロシア革命だ。ソビエト連邦は、ロシア政府が借りた外債をデフォルトしてしまう。そこで戦争が起きたのが、シベリア出兵だ。
 高度成長期の果実を、スウェーデンは福祉に使ったが、日本は、外債を買った。インドネシアアメリカからお金が返ってくる。武力を持たずに、これだけ貸し込んだ国が、(相手方が)払わない、と言ったときにどうやって取ってくるかを、真剣に考えたほうがいい。


 国は60年で国債を償還していくが、地方は20〜30年(償還だ)。例えば、学校を建てました。しかし、自治体住民は入れ替わる。そうすると、建てたときにだけ負担させる利用時払いのほうがいい。財政健全化法では、厳しく指標を作って、積立金を作っておくこと(と規定しているが)、施設を利用しない人に負担をさせるのはよくない。作っておいて地方債(=利用時払い)のほうがいい。自治体は国と違い、住民が変わるから、利用時払いのほうがいい。債券はここにしか認められない。赤字地方債にしてはいけない。政府は退職債を認めているが、その職員のサービスは経常的経費で(賄われ)、赤字地方債になる。資本的経費と経常的経費は、切り分けて理解しないといけない。


 大阪、神奈川、愛知といった、豊かな地域で、「決算上の赤字」が出るのはなぜか? 資本的経費の部分が大きければ、調整債を発行できるので、決算上の赤字は生じない。だから、公共団体は、資本的投資をやりたくなる大阪府は、経常的経費が大きいので、「決算上の赤字」になる。なぜ、経常的経費の比率が高いのか? それは政令指定都市があるからだ。公共事業は大阪市がやる。大阪府は、経常的経費である全府下の警察と学校教員の給料を持ち、公共事業を作れない。横浜、川崎、相模原の政令指定市を持つ神奈川県も、経常経費が高くなる。
 この問題をクリアするのは、どうしたらいいか? 人口を増やせば政令指定都市になり、府の財政が苦しくなる。弾力性がなくなる。資金繰りがきかなくなる。
 (財政健全化法ができた)今回からは、(決算上の赤字を)一般会計だけでなく、(公営事業と)連結でとるようになる。これは、公立病院の特別会計などだ。大阪府の場合は、公債負担率が効いてくる。公債費のウェイトが増えると、人件費・扶助費・公債費等を合わせた経常収支比率が上がる。

 
 このあとは、「日本社会が知識・情報・サービス中心の社会に転換したのだから、自治体はサービスを削るのではなく、自治体がサービスを出さないといけない、自治体がサービスを怠ると格差が拡大する」といったお話だった。
 肝心の財源をどうするかの部分だが、「地方が自由に使える財源を増やす、決められた範囲内でやっていてもしょうがない、異議申し立てをすることだ」が結論だったかと思う。「分権の意義は、財政赤字を見据えて、一人ひとりが判断していかないといけない。結果責任は住民にかかってくる」と締めくくられた。会場の皆さんは、神野先生の話術につられて、よく笑っておられたが、大阪府の未来は、いずれにしても茨の道であるように、私には思えた。

 一人で眠気と戦いながら本を読むより、こういう生講義を伺えるチャンスは、財政学の大枠を理解するのに非常に有意義な時間だった。I先生に感謝! もちろん神野先生にも。疑問が残ったのは、「調整債」は交付税不交付団体が使うものだとすると、かなり例外的なものではないかという点だ。