ストックホルム近代美術館(Moderna museet)その1(8月26日)

 さて、街の中心部まで戻って、地下鉄で、Kungstradgarden(ウムラウト、リングは省略)へ行く。港の向こう側に王宮が見える↓。行ってみたいが今回はパス。

 橋を渡って、シュップスホルメン島へ行く。橋の手前に、国立美術館(National Museum of Fine Art)があるが、これは時間があったら、ということで後回しにした。ゆるやかな坂を海沿いに上って、少し迷ってから、芝生の中に、ド派手な彫刻群を発見した。

 なあんだ、ポンピードー・センター(の近くの公園)のパクリやん、ととっさに思う。しかし、帰国してからパンフを読んで、事の次第を理解した。持って帰ってきたストックホルム近代美術館(Moderna museet)のパンフの中に、“The Pontus Hulten Study Gallary”とある。ポントゥス・フルテン・・・(Hultenのeの上には、アクサンテギュがつくのが正しいらしい。→自分の論文のミス発見)。
 慌てて、自分の論文を引っ張り出してみた。

「開かれた美術館」の理念を現代美術の領域で活発に展開していたのが、アムステルダム市立美術館、ストックホルム近代美術館、ベルン・クンストハレなどであり、ポンピドゥー・センター開設準備が始まっていた1973年には「開かれた美術館」討論・研究会がバーゼル・クンストハレで開催され、ストックホルム近代美術館館長ポントゥス・フルテン(Pontus Hulten)らが、参加していた。(中略)ポンピドゥー・センター内のパリ国立近代美術館初代館長に就任したフルテンは、「私たちは、68年の五月革命の本質的な状況、すなわち<街路の状況>のような、そこにすべての人々が階級や文化や教養の差を越えて、誰一人拒絶されたと感じることなく居られる空間を作ることができないかと思っていた」と68年以降の美術館の在り方を述べている。(瀧端・大嶋「宮城県美術館における教育普及活動生成の理念と背景」『博物館学雑誌』30-2、2005、97頁)

 アホな話だが、書いた本人は、固有名詞のつながりをきれいに忘れていた。フルテンというカタカナは覚えていたし、北欧の美術館というのが、どこか記憶に引っ掛かっていたから、ここまで来たとも言えるのだが、出国前は、忙しくて、ろくろく下調べをする間もなく、ホテルの予約に追われていた(ロフォーテン諸島にはまっていたし)。去年、こちらは自覚的に、クンストハレ・ベルンへ行ったが、休館中だった。クンストハレ・バーゼルは開いていた。ちなみに、アムステルダム市立美術館の名前がここに上がっていたことは完全に忘れていた。
 ともかくも、ストックホルム近代美術館のほうが、元祖だ。ストックホルム近代美術館は、今年が創設50年とあり、1958年の開館だ。ストックホルム近代美術館のHPを見てみたら、詳しい歴史が書かれていた。1968年あたりのところには、以下のようにある。

If the museum's first decade was characterised by 1960s optimism, its future fate has been equally influenced by the moods of subsequent decades. The turbulence around 1968 impacted on operations and gave rise to the idea of a museum with a broad spectrum of activities. In addition to happenings, dance, films and concerts, the exhibition tours for children - thanks to Carlo Derkert's unique educational input - were always a special feature of Moderna Museet. Derkert's idea was to keep up a dialogue with the museum's youngest visitors, an approach that has been seminal to the children's activities ever since the 1960s.
The "Model" experiment of 1968 was a room filled with rubber foam for wild games and other physical exercises. Starting in the pioneering 1960s, the Workshop has helped children and teenagers feel at home in the museum exhibitions and in the world of art.
http://www.modernamuseet.se/v4/templates/template3.asp?lang=Eng&id=2131

 後述するが、この美術館は、館職員の中で、ミュージアムティーチャーの数が大変多いと思われ、不思議に思っていたが、これで、ある程度、疑問は解けた。
 ところで、パンフによれば、フルテンは、2006年に亡くなったそうだ。「開かれたミュージアム」第一世代が、亡くなっていく時代になったというのが、何かしら暗示的と思われるが、この部分は、もっと詰めて考えてみたい。(←明け方、目が醒めてしまった。)

 さて、話が先回りしたが、ド派手彫刻(ニキ・ド・サンファルとジャン・ティンゲリーの作品:1966年とパンフには書かれていた。なお、ストラヴィンスキー広場の、ニキらの『自動人形の噴水』が制作されたのは、1982年らしい)の公園の先を進んでいくと、今度は、広場にアレクサンダー・カルダーの作品。そして、両側から大きな矢印に挟まれて、美術館の入り口が現れた。

若い人たちが玄関前に集まっている。中はおしゃれな今風美術館になっている。どこに似ているかと言えば、テート・モダンの廊下か。地上階(Floor4)は、細長い廊下に沿って、展示室が奥へ奥へと続いている。20世紀の有名どころの作品がずらっと並ぶのだが、珍しい感じはなかなかない。

館のHPの「歴史」の続きを読むと、次のような文章があった。
“Meanwhile, in November 2001, Lars Nittve joined as head of the museum. Nittve, who had been a senior curator of Moderna Museet in the 1980s, had previously headed Louisiana, Denmark, and Tate Modern in London.”似ているはずである。

 面白かったのは、Paul McCarthyの“Ketchup Sandwich”(1970-2007)という作品。アクリル板のようなものの間に、ケチャップが何層にもサンドイッチされ、はみ出し、展示室の床までこぼれている。周りには、ケチャップの空き瓶。これって、本物のケチャップ?と、しげしげと眺める。
 草間弥生の“Suit”(ca.1962)があった。他に面白かったのは、Meret Oppenheimの“My Nurse”(1936/1967)という作品。これは、白いハイヒールを裏返して、かかとの部分にクリスマスのローストチキンにまく紙飾りを巻いて、二つ揃えてご丁寧に紐で縛って銀色の皿に載せたもの。どう見ても、ローストチキンだ。検索してみると、Meret Oppenheimとは、毛皮のカップ&ソーサーを作る人だった。
 Piero Manzoniの“Achrome”(1961)は、黒い立方体の上に、ふわふわの毛の玉が載っている(このサイトのgalleryの7頁に作品の写真が載っている)。Mario Merzの“Pierced Glass”(1967)は、大きなガラスのコップに穴を開けて、ゆるくカーブした蛍光灯を通した作品。いずれも、アイデア賞だ。
 地上階で印象に残ったのはこのくらい。さてへんてこりんなものは、地下にあった。(以下、続く)