ノルウェー民俗博物館(Norsk Folkemuseum)(8月28日)

 ヴァイキング船博物館へ行ったあと、お屋敷街を通って、ノルウェー民俗博物館へ行った。

 大きな駐車場の向かい側に、レンガ造りの壁(門)があり、入ってすぐ左手がちょっとしたカフェ・レストラン(Visitors Center)になっている。サーモンのオープンサンドイッチとコーヒー(ビールだったかな?)で、庭で昼食。とにかく、荷物が重かったので、屋内展示のある大きな建物(The Main Building)の中に入り、コインロッカーを探し、ほっと一息。展示は、なぜか、インドの結婚式の展示と、ノルウェーの古い家具等の展示だった。この民俗資料の部分は、もう少し熱心に見るんだったたな、と帰国後、買って帰った案内書を読んで思った。
 お目当ての野外博物館を回る。スカンセンと違うところは、基本的に建物は無人、中に入れる建物は内部も撮影自由、コスチュームスタッフもいるが、こちらが質問しない限りは、向こうから話かけて来ないところ。一番大きな違いは、解説板がスカンセンほど詳しくないところ。建物の番号と、建物の名前が、ノルウェー語と英語で書いてあり、年代と、地域が書いてあるだけ。なので、英語を読むしんどさはないが、詳しいことは全く分からない。先にガイドブックを買って、これを手にして回ればいいのだろうが。スカンセンのほうが、教育熱心というか、熱意がある感じだ。

 目を引いたのは、野外劇場。大きな教会を過ぎ、馬のいる大きな農場に出て来た。コスチュームをつけて、草刈をしている女性や、手入れされた畑。

 ベンチで昼寝している人たち。たぶん地元の人なのだろう。
 泥まみれの豚。牛を飼っている大きな柵。

 山側へ回ると、牧場をぐるりと回って観察することができる。大きな人工の池。のんびりしているママと女の子。観光地というよりは、近所の人の憩いの(日光浴の?)場なのだろう。縁側の下にいる羊たち。石屋根の小屋や草屋根の民家。草屋根の構造を間近に眺めた。樹皮が使われている。

 水の流れていない水車。それから、だいぶ歩いて、オールドタウンにたどり着いた。いつもオールドタウンを無意識のうちに最後に回るとは、よほどへそ曲がりである。最初に何も考えずに、適当に歩き出すからこうなるのだろう。
近現代の住まいを再現している建物にたどり着いた。年代はチェックしなかったが、繊細なベッドカヴァーのかかったベッドの下に、おまるらしきものが置いてあるのが、興味を引いた。ビートルズのポスターを貼った、レコードプレヤーのある部屋、ダイニングキッチンやリビングルームなど。

 オールドタウンには、ガソリンスタンドや、銀行、飲み屋など。針金細工の職人さんの家や、仕立屋さん。部屋のベッドがとても小さいが、体を丸めて寝ていたらしい。

 歩き疲れて、最後にショップに寄ってガイドブックを買って帰った。このガイドブックに、ノルウェー民俗博物館の沿革が書いてあった。さわりだけ紹介する。以下、試訳。

 ノルウェー民俗博物館は、ノルウェーの人々がスウェーデンとの同君連合で、より独立した地位を求め、ナショナル・アイデンティティが高揚していた1894年に設立された。オスカー2世のコレクションが、ノルウェー民俗博物館のコレクションの最も古い部分である。それらのコレクションは、1881年、ビィグドイのオスカー2世の夏の邸宅で形成され、1907年、民俗博物館の一部となった。
 Hans Aall(1869-1946)は、25歳のときに、館を設立した。彼も、他の多くの人々も、ノルウェーの民俗芸術が、収集されてストックホルムのNordiska Museumに送られるのを良しとしなかった。街中のアパートでのささやかな始まりから、博物館は、1898年に、ビィグドイのオスカー2世のコレクションに隣接する土地に移転した。
 1900年のパリ万博で、Aallは博物館計画の模型を展示した。あるノルウェーの新聞は、“砂上の楼閣”と呼んだが、1901年、国内で最初の大規模な文化史展示が開催され、民俗芸術、民俗衣装、教会芸術、肖像、制服などの様々な特別展が立て続けに開催された。これらの展示は、さらに進んだ調査の対象となった。・・・
 (“Norsk Forkemuseum”1996、p.2)

ビィグドイは王様の別荘地だったということで、納得。Nordiska museetやスカンセンの過去と照らし合わせると面白そうだ。スカンセンには、「ハセーリウスはノルウェー独立後、ノルウェー民家の収集を止めた」旨の案内板が、ノルウェーの移築民家に、貼り付けられていたように記憶している。
 ところで、ノルウェー民俗博物館のHPには、“Staff:120 employees”と書かれている。スカンセンが約170人の雇用。どちらもたいしたものである。