フロム鉄道

 フロム駅で買ったあと2冊の本は、“The Nærøyfjord”(Johs B.Thue,2006)と、日本語訳の『フロム鉄道』(ヨハンネス・B・トゥーエ、2002)。 
 “The Nærøyfjord”は、世界遺産でもあるネーロイフィヨルドソグネフィヨルドの支流)の写真集で、中に、「フィヨルドはどのようにしてできたのか」という頁がある。以下、抄訳(試訳)。

 フィヨルド沿いの山腹を登ると、比較的平らな平原がある。この美しく、魅力的な平原は、約5,000万年前までに風化や浸食作用を受けた平原の名残で、そして約5,000万年前に、断層が生じ、地面が隆起した。地表面の割れ目が現在の海岸線、最大の隆起が西側で、地表面は東側へと傾斜している。古い地表面は、現在の海面より1,000メートル以上、隆起している。
 水は岩床を削り、氷河作用の期間が長く続いた。氷河は、岩床を侵食し、その垂直方向にかかる重量で陸塊を押し下げながら、前進、後退をした。氷が徐々に解けるにつれ、圧力が和らぎ、土地は再び海面から上昇した。私たちはその明白な証拠をソグネフィヨルドの至るところで目にする。かつての海水面の跡を残した台地が、100メートルの高さに存在している。フィヨルドの上部(heads)では、川が大きな三角州を堆積させる。これらは、現在の海水面より高い、広い平坦な場所となっている。

 100メートルの高さの台地(高台)が、ベルゲンやオスロで見かけた崖の中腹の家々のある場所なのだろうか。フィヨルドの崖の上の平原にも、登ってみたいものだ。 
 もう1冊の本、『フロム鉄道』も面白い本で、鉄道建設の歴史が書かれている。これがまた、ラッラル(工夫)、車掌、郵便配達といった人々の名前が記されている。伝説の車掌、アイナル・ヨンセン(1914〜1991)という人の手記もあるようだ。「名のある人々」の記録を丁寧に残すのは、北欧の特徴だろうか。Nordiska Museetのショップにも、女性たちの手記らしきものを集めたスウェーデン語の書籍が置かれていた。リビング・ヒストリーの伝統につながるものなのか、このあたりはよく分からない。ただ、日本よりも、普通の人々の固有名詞のある歴史が尊重されているのは、確かだと思う。
 また、この本には、フロム鉄道博物館が掲載されており、現地では気づかなかったことが悔やまれる。

 それでは、以下、フロム鉄道の旅、写真集を。

フロム駅では、駅員さんに、5号車に乗りなさい、と言われた。その理由が分からなかったが、あとから乗ってきた日本人ツアーのガイドさん(現地在住日本女性)が、「ここが一番いい場所なのよ、(ショースフォッセン)滝が正面に見える」と説明していたのを聞いて納得した。ツアー一行は座席指定を取っていたようだが、もともと指定の場所はすでに他の乗客に座られていたようで、いつも、指定はあってないようなものらしい。ついつい、日本語の会話が耳に入る。「ノルウェーって、年金だけで暮らせるのですか?」「贅沢をしなければ何とかかしら。でも、物価が高いから、お酒は家で果実酒を作るのよ」みたいなお話。
 発車時刻(14:50)には満員になり、しかも中国系の団体さんが多くて、おおはしゃぎで、何というのか、嵯峨野トロッコ列車に乗っているような感じなのだった。フロム鉄道自体は素晴らしいのだけど、旅情を味わうという感覚からはほど遠い。季節や時間帯を上手に選ぶべきなのだろう。

赤と青の旗を手作業で付け替えて、列車がすれ違うようにしているようだ。






ショースフォッセン滝で、一旦、列車を降りて滝を鑑賞。








15:47、ミュルダール駅に到着。