ベルゲン・フロイエン山(8月30日)

 ミュルダールの駅からは、再びベルゲン急行に乗る。15:55発。



販売の終わったカフェテリア車両にのんびり乗る。牧草地帯を過ぎて、川面が鏡のように静止した水面に、山も家も船も、さかさまに映し出されている。



 やがて、ベルゲンの街中に(ベルゲン着17:52)。カラフルな家々が、崖の中腹にへばりついている。これが、隆起のあとの台地なのだろうか。

ホテルに荷物を置いて、魚市場やブリッゲン世界遺産)まで行くことにした。



天幕を張っただけの魚市場は、サーモンやエビ、カニが山盛りで、食欲をそそる。結局、このお店で何度も海鮮サラダ(単に生の白菜の上に生ものを盛ったもの)を食べることに。



ブリッゲンのショーウインドはかわいらしく、これまた購買意欲をそそる(が、セーターなどは高いので)見るだけ。
 まだ明るいので、フロイエン山にケーブルカーで登ることにした。8時頃だっただろうか。ケーブルカーの途中から、おもちゃのようにかわいいベルゲンの街並みが見え、興奮する。

そして山頂・・・・
 正面に、ベルゲン港を見下ろし、夕日の中を船が進んでいく。複雑に入り組んだ海岸線と島嶼部。左手には、ベルゲンの新市街が広がり、またその先には海。右手にも、もちろん海。こんな雄大な景色は、今までに見たことがない。その全体像は、カメラにはもちろん収まるべくもない。皆、思い思いに階段に腰掛け、日が暮れていくのを眺めている。夜景には、まだ時間があり、肌寒い。こんな時に限って、デジカメがあと3枚しか撮れない・・・。



 これまでの人生で見た、最高の景色ではないか。匹敵するのは、NYの夜景と、久住と、礼文島西海岸・・・と考え出したとき、そういう比較は無意味だと気づいた。昔の思い出には、多分に精神的なものが関わっているからだ。目の前の景色に何を投影するか。自然史系の人たちを観察していると、彼らは、同じ景色を見ても、具体的な植物の名前とか鳥の名前とか、地層とかが見えるらしい。これは、文学少女(?)のなれの果てとしては、恐るべき発見だった。
 敷衍すると、美術作品を観て、そこに何を見出すか? わが敬愛するN先生などは、美術展を見に行って、あの虎の縞々はおかしい、とかのたまう。それは極端だとしても、美術作品に自分の内面を投影させて(あるいは内面との対話を行いながら)見るのか、はたまた、より客観的な観察をするのか?
 脱線したが、フロイエン山の夕暮れ時は素晴らしい。今回の旅行の中で、最高の感激だったことは間違いない。