ハンザ博物館/ハンザ集会所(2008年8月31日)

 今日から新年度(職場の新年度は前倒しですでに始まっているが)で、何かと心落ち着かず、リハビリに、昨夏の追憶を再開してみることにした。書こうと思うと、恐ろしく記憶が飛んでいることに、愕然とする。ボケ度がはなはだしい。今日、光回線の工事をした。写真のアップは楽になったかな?(目に見えて高速!という感じではないが・・・)
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 8月31日、朝、ベルゲン、ブリッゲン通りのハンザ博物館(Hanseatisk museum)へ行く。この小さな博物館は、今回訪れた博物館の中でも、とりわけ印象の深いものだ。ハンザ博物館は館内撮影禁止だったので、内部の写真は撮っていない。その代わり、写真入りの日本語パンフレットが手元に残った。


 館内に入ると受付脇にパンフ(小冊子)があったので、早速、日本語版を購入。この知恵は、ロンドンで学んだものだ。パンフを片手に、展示物を見たほうが分かりやすい。
 このパンフ、マルコ・トレッビ著『ハンザ博物館と集会所』(1996)によれば、この博物館は1872年、商人ヨハン・W・オルセンによって設立された。オルセンブリッゲンの家具・道具・書類を収集し、海岸に面した「海店」(うみみせ)を所有した。ブリッゲン地区(現在、世界遺産)でも最もよく保存された建物(1702年の大火のあと再建されたもの)で、古い備え付けのインテリア(1700年から1800年初期のもの)もセットで引き継がれた。オルセンの死後、子息コレン・ヴィーベルクが引き継ぎ、1916年、ベルゲン市が博物館を買い上げると、彼は初代館長に就任した。
 ハンザ同盟の海外拠点である「貿易事務所」は、ブルージェ、ロンドン、ノヴゴロド、ベルゲン(1360年頃〜1754年)に置かれていた。「海店」のインテリアの時代ごとの変遷がいまだ解明されていないため、ハンザ博物館は、特定の時代のインテリアを正確に再現したものではない。部屋割、広さは本来の姿で、備え付け家具もほとんどオリジナルだそうだ。置き家具や装飾品は元から部屋にあったものではないが、1700年代のもので、ドイツ貿易事務所最後の頃と、ノルウェー貿易事務所の頃の折衷スタイルになっている。建物には2つの商店「海店」と「陸店」(おかみせ)があり、港に面する「海店」が現在の博物館だ。
 さて、パンフレットを読み読み、各部屋を回っていく。1階は、薄暗く地味な作業部屋で、干しタラや肝油をチェックするための道具類の展示。狭い木の階段を登った2階が非常に面白い。食堂や応接間、番頭の執務室、応接間の隣にあるのは、番頭の冬用ベッド。ベッドの壁側には、戸穴があり、反対側から見習いがシーツを交換するのだそうだ。番頭が一人で食事をする小部屋もあり、パンフには、「店員風情と食事を共にするのは番頭のコケンにかかわるのだ」と書かれている。
 3階の小番頭部屋の押入れベッドにも、見習い部屋に面した戸窓があり、見習い部屋を監視できるようになっている。ブリッゲンの夜警は、小番頭たちの回り持ちで、鉾槍も展示されている。見習い部屋には、2段式の窮屈な木製造り付けベッド。パンフのこの部分を直に引用してみよう。

見習い部屋はちょうど小番頭部屋と番頭部屋に挟まれていて、見習いたちは監視の目から逃げられない。4つの窮屈なカプセルベッドは外から閉めやすく、中から開けにくい構造だ。しかも各ベッドに2人ずつ入れられた。ブリッゲン生活は厳格・・・が当然とされていた。部屋の様子はまさにスパルタ的だ。個人のものを全て収める転がしトランクを見れば想像がつく。(p.27)

 番頭部屋(番頭の夏用寝室)からは、階下の応接間に通じる秘密の階段がある。その奥には「陸店」。非常に印象深かったのは、奥まった広い部屋で、ノルウェー貿易事務所時代、番頭がベルゲンの市民権を取得すると、近在の農民、漁民との商業権が許され、船や荷車で集まる人々が宿泊できるベッドが「休憩宿」として用意されていた。もちろん、壁に造り付けの小さな二段ベッドだ。
 パンフによれば、どの部屋も火事を恐れ、暖房しなかったそうで、「ハンザ商人の下では明かりを灯すことすらかなわなかった」とある。こんなふうに、日本語パンフに助けられながら、初めて見るハンザの遺産は、それぞれに大変味があった。パネルを見ていると、かの憧れのロフォーテン諸島産のタラが特に好まれた様子だ。パンフには、「ハンザ商人たちをベルゲンに引き寄せたのは何といっても干し魚である。お目当てはタラで、1月下旬から3月中旬までロフォーテンで獲れたタラを吊るし干しにしたものである」とある。逆にハンザ商人たちは、小麦や小麦粉を北ノルウェーにもたらしたそうだ。
 外国人にとって、母国語で書かれたパンフは非常に重要で、ハンザ博物館は小さな博物館にも関わらず、複数種類の外国語パンフが販売されており、40頁と小ぶりで持ちやすい上に、内容はカラー写真ともども非常に充実している(日本の博物館では、こういう外国人向けに翻訳した小冊子が入り口で販売されているのを、目にした記憶がない)。展示やパネルはいたってオーソドックスだが、静かで味のある博物館である。特にお目当てでもなく、ぶらりと出掛けたが、強く心に残る博物館だ。
 このあと、別館になっている(チケットは共通)「ハンザ集会所」を訪れた。こちらは、写真撮影OKで、いくつか写真を撮った。暗くてピンボケだが。パンフには、この集会所の説明も掲載されている。ゴード(集合建物、区画)は個人商店の集まりで、ゴードごとにそれぞれ、共同で埠頭、埠頭小屋、クレーンや炊事場つき集会所を持っていた。各商店では上述の通り火気厳禁で暖房しないため、「集会所の目的はゴードの住人が冬に集まる場所として、かつ暖かい食べ物にありつける炊事場付き食堂としてである」とのこと。1880年代に解体が始まったドラム区の集会所を、博物館が保管、1917年にベルゲン市に寄贈、再建されたそうで、本来は各ゴードの後ろに独立して建っていた3つの集会所を集めて再建したようだ。あとは写真をご覧いただきたい。

集会所(ショットストゥーエネ)の入り口。↑


集会所1階のホール。再建の際に今後の利用を考えて付け足されたもの。↑

2階、ヤコブスフィヨルデンとベルゴード集会場。1702年大火前の全容を紹介する信頼できる再現とのこと。↑

ブレースゴード炊事場。↑

洗面器とタオル。食事の前に手を洗う。↑