見学実習(弥生、近つへ行く)

 5月16日(土)、博物館実習の見学実習で、大阪府弥生文化博物館、池上曽根史跡公園、大阪府立近つ飛鳥博物館へ行った。毎年恒例の日帰りバスツアーで、大阪府立博物館巡りは、1年越しの企画の実現である。ちょうど、ほとぼりも冷めた頃(?)で、2館とも大変、親切な対応をしていただいた。まず驚いたのが、電話対応の丁寧さだ。
 実は、私は、両館の展示を見るのは、初めて。「近つ」の方は、着任当初、2年ほど実習を受け入れていただいた関係で、ご挨拶には2度伺ったが、何となく、展示室には入りそびれてそのままになっていた。実習生15名も、両館とも、誰も行ったことがなかった。博物館学3の受講生も一緒に行ったのだが、その中には、何人か、行ったことのある学生がいた。たぶん、小学校の遠足等で・・・。大阪府は、南北に長いのだ!
 実習生たちには、当日までに、新聞5紙(毎日、産経、読売、日経、朝日)の記事を検索してもらい、資料集を作って、バスの中で発表して貰った。橋下改革以降の府の博物館政策を巡る報道の論調、文化人の意見等が、概ねまとめられていたと思う。
 そして、両館へ行き、学芸員さんのお話を伺い、収蔵庫や展示を案内していただき、非常に充実した1日となった。

 この両館のことを考える際には、府と財団と博物館の、少し複雑な関係を考慮に入れる必要があるだろう。でも、報道は、そうした内部事情には一切触れていない。指定管理者制度導入以前の、大阪府の技師さんや教員籍のある方々が、3年程度で異動していく学芸運営と、指定管理者制度導入後の、財団職員さんによる運営(奮闘!)。根本には、長年の府の博物館政策の欠如があるとしか思えない。

 さて、以下は、私の極私的感想というか備忘メモだ。
 「弥生」では、学芸員さんから、佐原真さんが、オープン展示を考えられたことを伺った。佐原さんには、「99人の考古学」という本があるそうである(正式な書名は?)。99人の一人としては、う〜ん・・・・。学生たちも色々質問したり、意見を言ったのだが、文字情報が少ないので、分かりづらい、レプリカと実物の区別がつきにくい、あたりが、私も含めた感想。個人的には、近所の発掘の影響で、にわかに考古学がマイブームなので、普段以上に熱心に見たのだが、引率に気をそがれていることもあって、あまり理解は進まなかった。吉野ヶ里の管玉がむき出しで展示してあって、さすがにこれはレプリカだろうと考えた。
 「近つ」の展示には、ある種の感動を覚えた。点数も多く、個々の展示物は見ごたえがあり、もっとゆっくり見たいと思った。時間配分を決めたのは、他でもない、この私なのだが、(あまりのアクセスの悪さと多忙のために)下見をサボったツケが回った。安藤建築も、公共交通でアクセスしたときの、度肝の抜かれ方と、裏の駐車場からダイレクトに入館した場合のイメージはまるで違う。見学実習的には、表からのアプローチも試みるべきだったと、今になって反省。展示は、案内して下さった学芸員さんも言われていたように、時系列で並んでいないための、分かりにくさがあった。円形のスロープを伝って地下へ降りていく建築の意匠は、悪くないと思った。「弥生」同様、展示物をよく見てほしい、という当初の意図から、パネル等が少ないので、学生たちも、これは知識がないと分からない、と言っていた。

 個人的に、一番、物思ったのは、お昼を食べに寄った池上曽根史跡公園だった。池上曽根遺跡がどう、というのではなく、遺跡の現地保存という問題を、長く、浅く、ぼんやりと考えているからだ。職業柄、これまでに、考古学専攻の学生さんに、生涯学習概論等の授業をすることがあったが、遺跡の保存活用を研究のテーマにしようとすると、ちゃんと本家考古学をやれ!と先生方から指導され、悩む・・で、私に相談を持ちかける・・・というケースが時々ある。もう10年以上前、そんな一人が、遺跡を現地保存したって、閑古鳥が鳴いているケースが多々ある・・・と話していた。で、お昼ご飯を食べながら、池上曽根史跡公園の利用され具合を観察していたのだ。トンデモな使い方をしていた中学生2名、自転車に乗ってきて、木の下で何か戯れている女子高生風の集団。キャッチボールをしている親子1組、復元遺跡をまじめに見学している中年男女2人。石灰の線を引いて何かの準備をしている(スポーツ用?)2〜3人の人。そして弁当を食べていた私たち。
史跡公園の機能は、都市部の広域避難場所と、博物館に来た学校団体のお弁当広場、そして、スポーツの広場か?

 
 戻って来てみると、我が家の近くの遺跡(南の田んぼ)は、早くも埋め戻されていた。