順益台湾原住民博物館

 10月30日は、続いて順益台湾原住民博物館へ行った。国立故宮博物院の斜め向かい側、少し奥へ進んだところにある(写真の右側ピンク色の塔は、隣の幼稚園の建物)。

 3階建てで2階と3階がメインの展示。2階が「生活と道具」、3階が「服飾と文化」。3階で見たタロコ族の麻織物の製造過程、実に手間隙をかけるものだと知る。地下1階には、映像シアターがあり、ちょうど放映時間だったので、入って座っていると(観客は私一人)、係のおじさんが日本語字幕に設定してくれた。
 アニメで民話を2本。日本語の訳が微妙におかしくて笑ったが、アニメの中身も(神話そのものも)荒唐無稽で声を出して笑う。1本目がアミ族の勇士の話。ある日、勇士が漁をしていて、クジラに襲われた。気がつくと、不思議な国に到着していた。その島は女しかいない。女たちは、男を見たことがないので、短い尻尾の豚かと思った。女たちには口がないので、出すものもない。男が出した「大」を見て、やっぱり豚だと思い、檻に入れて太らせた。男は気づかない。ある日、女たちに縛られた。逃げる男。海岸までたどり着くと、あのクジラが。クジラに乗って、無事、故郷に帰ったが、時間は50年も経っていた。妻はおばあさんに、息子も大人になっていた。
 2本目。確かタイヤル族の民話。昔、太陽が2つあった。村は暑くてたまらない。太陽を一つ、射落とすことに決めて、一人の男が、村人の期待を背に、村を出た。歩けど歩けど、太陽の近くにはたどり着けない。男は歳をとり、これではダメだと思い、村へ戻った。村人はがっかり。でも男は長い旅の間に知恵者になっていた。太陽は遠い、だから、赤ちゃんの頃から歩かないとダメだ! そこで3人の男が選ばれ、それぞれに赤ん坊を背負っていった。赤ん坊がおなかをすかせると、豚の乳を飲ませたり、熊の乳を飲ませたり。やがて、赤ん坊は成人し、3人の老人は次々と死んでいった。とうとう、太陽に矢が届くところにたどりついた。矢を打ち込まれた太陽は怒って火の玉を撒き散らした。1人死亡。しかし、太陽は一つになり、この時から、夜と昼が始まった。2人の男は、行きしなに、親たちがまいた米のあとをたどって、無事、故郷へ帰ることができた。

 1階には、学習ビデオがあり、原住民の来歴(オーストロネシア語族に属し、数千年前に台湾にやってきたこと等)、都市原住民の問題(生活環境の変化によって、以前は祭りの際にしか飲まなかったお酒を飲むようになったことや、多くの原住民が都会で危険な工事現場で働いていること、少女売春など、さまざまな問題が生まれている等)、1993年には「土地を返せ運動」が行われたこと、台北市内の通りの名前を原住民由来の名前に変えたことなど。この博物館は、民間の博物館で、財団法人なのであった。
 
 帰路は、「衛理女中」バス停からバスに乗ろうとして、女子校の下校時間とバッティング。身動きできないほどのぎゅう詰めでバスは走る。士林駅前のワンタン屋さんで晩御飯。若い子がいっぱいで、高校生がギョーザを食べながら、英語のワークブックで学習。まるで、日本のミスドのような光景。しかし、彼女たちは、よく勉強する・・・・大丈夫か?日本の若者たち・・・