『古文書返却の旅』

 網野善彦『古文書返却の旅』(中公新書、1999)を読んだ。面白くて、という表現は不適切かもしれないが、夢中で読んだ。通勤の途上で読み、最後は、道を歩きながら読んだ。
 1949年に水産庁の東海区水産研究所で始まった、全国各地の漁村の古文書を借用・寄贈等の方法で蒐集し、整理、刊行等を行う事業は、日本常民文化研究所に委託された。網野氏は、1950年、大学卒業と同時に、日本常民文化研究所月島分室に勤務することになる。ところが、1954年に水産庁は委託予算を打ち切り、網野氏らは失業した。
 問題はここで終わらず、全国各地から借用されていた100万点を越すと思われる文書が、所有者に返却されないままに、月島分室の主宰者だった宇野氏の再就職先に移される。網野氏は、失業期間を経て、高校教師となるが、未返却文書の問い合わせを受ける中で、この問題に心を痛め続けることになる。名大に転任後も、この問題はついてまわり、網野氏はとうとう、名大をやめて残務処理に専心する決意を固め、神奈川大学に、日本常民文化研究所を引き取ってもらい、網野氏は、神奈川大に勤務する傍ら、月島分室の「遺産」の整理を行う。その間の、日本各地への古文書返却の旅を記したものである。
 この本を読んで、中沢さんの本を読んだときに知りたかった、網野さんの若い時代のことをかなり知ることができた。それはともかく、この本を読みながら、様々なことを考えたり思い出したりした。倫理的な問題、調査研究の方法論、技術的な問題。
 また、それとは全く別に、個人的な発見もあった。網野さんは、1967〜1980年まで、名大におられたとのこと。私の高校時代の日本史の先生は、名大のご出身で、確か新任だったと記憶している。年代から言って、わが恩師は網野さんの教え子だった可能性が高い。たったそれだけのことだが、かすかなご縁のようなものを感じたのである。
 お名前を今、思い出すことができないのだが、この先生は、大変熱心で、私は日本史の授業をとても楽しみにしていた。あるとき、先生は、学会誌を持って来られ、「優秀な人は、卒業論文が学会誌に載るんだよ」と表紙を見せながら、語られた。今思えば、高校生に一体何を、とも思うのだが、そのときの、先生の身振り口ぶりは、鮮明に記憶に残っている。学会誌なるものを見た、初めての機会だったと思う。
 私たちの卒業後、この先生は高校をやめて、名古屋に戻られたと風の噂に聞いた。今、どうしておられるのだろうか。