エーゲ海の真珠(1)

 若干、逃避モードでまた例年のようなダラダラした旅行記を書いてしまいました。何なんでしょう。適当に読み飛ばして写真だけご覧下さい。
 そもそも今回、なぜギリシアに行ったかと言うと・・・。若い頃、ポールモーリア楽団の「エーゲ海の真珠」(←クリックすると音が出ます、注意)という曲が流行っていた。特にファンという訳ではないが、耳にタコができるほど自然と聞いていた(深夜放送からか?)。
 それと、小田実さんの『何でも見てやろう』で、特にギリシアの話が面白くて刺激を受けた。むろん時代が違うし、小田さんは古代ギリシアギリシア文学を専攻していたので、ギリシア語ができたのだ。
 JALマイル利用なので、入口になる空港は限られる。とりあえず、ローマ往復だけを予約しておいて、あとは何とでもと思っていたら、ギリシア財政危機・スト報道。クロアチアも行ってみたかったし、イタリアもほとんど知らない。行き先や旅程は迷いに迷った。多くの日本人が、クロアチアギリシア間の移動を考えるようだが、中々これが難しい。クロアチアから空路フランクフルトに戻り、そこからアテネに飛ぶのが一番早くて安全、みたいな。最初は欲張ってクロアチアを含むコースを立て始めたが、諦めた。
 結局、ローマ―アテネエーゲ海の島―アテネ―ローマという禁欲的プランになった。今、ギリシアへ行くことの不安は残ったが、直前、かたつむりさんが無事、ギリシアから帰国されたのを見届けて、大丈夫だろうと判断した。
 前置きが長くなった。要約すると、「何でも見てやろう」を実践しただけで、高尚な理由は何もないということ

 8月19日(木) ローマ・フィウミチーノ空港から無事、オリンピック航空機は飛び立った。ギリシアキャビンアテンダントがすごい。長身で顔立ちがはっきりしていて、うわ〜彫刻みたい!乗るとすぐに飴を配ってくる。飴のことを「キャラメル」と。そして、滑走路を走っている間に、非常用のチョッキ装着説明。離陸していつの間にか、ウトウトしていたら、「マダム」と声を掛けられる。・・・なんと、軽食サービス付き。食事もおいしかった。そして、テキパキと食器を片づけ、すぐにアテネ到着。お客は、普通に携帯やデジカメ触っているし、着陸するとすぐに飛行機のドアが、前後2つ空いた。ので、すぐ降りられる。
 あまりの合理性、テキパキ度に驚く。JALとはあまりに違う。サービスということに対する考え方の違いか。JALは昨年から、成田―ヨーロッパ線の、最初のおつまみ・ドリンクサービスを廃止、明け方の軽食・ドリンクサービスを廃止している。要は、離陸後と着陸前2回、食事と飲み物が出てくるだけで、灯りを消して寝ていなさい時間が耐えがたく長い。アテンダントは親切で頑張っていると思うが、やたら丁寧なだけがサービスと、社内的に勘違いしているのではないか。私は、オリンピック航空みたいな無駄のない動きの方が好き。それと、JALは行き帰りともエコノミークラスのキャビンアテンダントが、ベテランばかりであった(人件費高そう〜と思ってしまった)。
 
 アテネの空港から、街中までは地下鉄(と言っても、途中までは地上を走る)。隣に座った男の子の髪の毛がくるくるの巻き髪で、あ、これも彫刻みたい、と思う。つまり、ギリシア人にとって、私たちが石膏像で見慣れているような彫刻というのは、普通のギリシア的顔立ちなり容姿なのだ、ということに気づく
 宿を取ったモナスティラキ駅の地上に出て、なにやらすごい丘のようなものが目の前にあって驚く。も、もしかしてこれがアクロポリスの丘とか??
 その日は自信がなく、ホテルを探すのに精一杯。落書きのいっぱいある入り組んだ道を歩き不安のうちにホテルに到着。夕飯を食べに外へ出て、人が多そうなタベルナ(食堂)に入る。ソーセージとチキンの焼いたのを食べたが、付け合わせの温野菜も含め、非常においしかった。ギリシア料理がおいしいというのは本当だ。

 8月20日(金)朝、フェリーの時間がよく分からないが、GREEK ISLAND HOPPING 2010によれば、ピレウス港発サントリーニ行きフェリーは7:15に出る可能性が考えられる。地下鉄の始発は5:30〜と書いてあるので、始発に乗ろうと考えた。写真はピレウス港。
 実は、クルーズ以外に個人でエーゲ海の島に行く場合、日本語サイトでは情報収集が困難だ。トーマスクックの時刻表には、フェリー情報は、上記のGREEK ISLAND HOPPING 2010を見なさいと書いてある。この本はAmazonで簡単に買えたが、出発直前だったので、この本を頼りにさらに最新ダイヤを検索する余裕がなかった。
 GREEK ISLAND HOPPING 2010のオンラインサイトはこちら。→http://www.greekislandhopping.com/

 写真はアテネピレウス港。
 とにかく港に行けば、最新ダイヤが分かるだろう・・・と、ピレウス港に着いて、乗る予定のHighspeedという高速船を出しているHellenic Seawaysの券売所に行く。窓口の女性に、あと10分で出る、売り場はあっちの窓口だからあそこに行きなさい、と言われる。走る・・・で、切符を買って7:10発というHighspeed6に乗る。乗るとすぐに、ブリッジが上がる。駆け込み乗船! しかし、変だな〜私の時計はまだ6時過ぎなのに〜。チケットには、7:10発と書いてある。一人で深く悩んだ。船内にTVがある。時刻表示を見ると、私の時計より1時間早い。・・・もしかして、ローマ―アテネ間には、時差があるのか??

 よく無事に、船に乗れたものである。
 さて、船は、島に接岸。船を降りる準備をする人、デッキで写真を撮る人。私もとりあえず、写真を撮ってから降りる準備をすると、係員に、「ノー・サントリーニ!」と言われる。中継地点か・・・どうもイオス島だったようだ。危ない危ない。何時にどこに寄港するかもわからなかったのだ。写真はイオス島の港。

 さらに1時間ほどしてサントリーニ(ティラ)島到着。今度は全員降りる。写真は、バスから写したアティニオス港(新港)。この赤い船に乗ってきた。

 港にもフィラの町のバス停にも、宿の客引き多数。私は予約していたのだが、そのホテルがどこにあるのか、さっぱり分からない。バス停には地図もない。何軒かの店で聞いても分からないと言う。声をかけてきた客引きのおばさんに聞いたら、親切に教えてくれた! 写真はフィラのバス停に貼ってあるバス時刻表。これを見ながら移動する。

 さて、ホテルのおじさんは大変親切で、島全体のマップと、フィラの町の地図をくれて、見どころをあれこれ教えてくれる。行きたかった火山&温泉ツアーを尋ねると、ここでチケットが買える(売れる!)という。2時と6時というので、2時を希望すると、暑いから止めとけ、という。で、6時のチケットを購入。小さな港だから旧港へ行けば分かるという。
 一番行きたかったアクロティリ遺跡は、事故後まだ再開されていないという。
 ローマで買った水着とスイムウェアの上にタンクトップ、ビーチサンダルで出発。

 町をぶらぶらしつつ、まずは、Museum of Prehistoric Theraへ。この博物館は、アクロティリ遺跡の出土品を展示している。写真は、紀元前17世紀の壁画。


 ゴンドラリフトで旧港に降りてVolcano&Hot Springs Tripの船に乗る。写真は、崖の上から見下ろした旧港。

サントリーニ島対岸のネア・カメニへ行き、そこで乗客は全て船を降りる。


 ガイドはつかず、三々五々、坂道を登っていく。ギリシア語が全く分からないので、何時に船に戻ればいいのか分からず、とにかく皆についていくことにする。お鉢を3つ位回る。先頭を行く気のいいおじさんにしっかりついて行くと、彼はコンニチハ、サヨナラとか言える。日本に2カ月いたのだという。大阪、福岡、播磨にいたと。造船関係だろうか・・現在はクレタ島に住んでいるそうだ。

 硫黄がまだかすかに噴出している箇所もあった。

 こんなところに取り残されたら、死んでしまうよな〜と思った。水がないのだもの
 下りで、ド派手なブラジルから来た女性4人組みと出会う。
 さて、船は、次の目的地、温泉のあるパレア・カメニに進む。島の近くに止まると、泳げる人は行きなさい・・・で、クレタの彼が真っ先に飛び込む。船が停泊している場所の水深は20mとか。半分くらいの人が飛び込んで、温泉のある入り江に泳いで行く。梯子がおろされて、船の救命浮輪を借りて行く人もいたので、私も貸して、と頼んでみるが、もうないらしい。泳げないならここにいなさい、みたいに言われて、とりあえず、梯子を降りて海に浸かってみる。魚が泳いでいる。梯子を放してみるけど、とても岸まで泳ぐ自信(覚悟?)はない。岸まで50mはありそうだ。そのうち、上がってこい!と言われてしまう。



 泳いでいった人たちは、気持ちよさそうに、温泉に浸かっているではないか。
 この日のために水泳というものは、存在したのだ。このことを子ども時代に知っていれば、頑張って水泳の練習をしたものを。子どもの頃には、なぜ、泳ぐ必要があるのかなんてまるで理解できなかった。それは英語学習も同じ。なぜ、勉強する必要があるのか、子ども時代、学生時代には全く理解できなかった。
 人生をより楽しく生きるために、体育とか、勉強とかは存在したのだ。でも、それを先に実感することは難しい。
 私たちの船が出る頃、先ほどのブラジル女性たちが、タクシーボートでやってきた。これだと、浅い入江までボートで送ってもらえる。やられた! あ、浮き輪持参という方法もある。
 船は、オールドポートへ向かう。夕暮れのフィラの町。