山形で考えたこと

takibata2007-06-23

 21日午後の全博協大会での博物館法改正ネタは、最後にまわして、先に、22日の見学研修会のことを書きたい。私は山形市郷土館・山形県立博物館・文翔館・風雅の国・山寺芭蕉記念館・山寺(立石寺)のコースを選んだ。基本的にはバスで団体移動した以外は、好きに回らせてもらったのだが、文翔館ではなぜかボランティアガイドさんが我々を完全拘束してしまい、困ってしまった。そのことが、一番印象深い。あとは、山形県博の歴史展示を見て考えたこと。
 時系列的には、まず、山形市郷土館(旧済生館本館)明治11年に初代山形県三島通庸が建てさせ、病院・医学校として使われていた擬洋風建築の建物を、移築復元したもの。内部に、初期の医学教育の様子を示す写真や文書、医療機器等が展示されている。産婆さんや看護婦養成の写真が面白い。
 山形県立博物館は、2度目の訪問。無意識のうちに、逆順の民俗展示から入って、しげしげと展示を眺め、歴史展示のコーナーへ出て来た。ちょうど、学生たちと、網野善彦『日本社会の歴史』上・中・下(岩波新書)を読んでいるところなので、ヤマトvs.東北の人々はどう描き出されているのかと思ったのだが、その部分の展示はさらっと流されていたように思う。あとで気にするくらいなら、もっと時間をかけて見ればよかったのだが、県博では企画展「清水大典と冬虫夏草」があったので、そちらに気を取られていたのである。
 次に、文翔館(山形県旧県庁舎及び県会議事堂)。二組に分かれて、ボランティアさんの案内に従うことになった。50分間ほどの時間、彼女はずっと喋り続け、案内し続けたのである。全体として何があって、どこにポイントを絞るのか、いつまで拘束されるのかの説明がなく、ずるずると終わる気配のないガイドツアーほど辛いものはない。自由に回りたい人は、途中で抜けていいよ、の一言は欲しいところだ。こちらの見たいものと、向こうの話したい/見せたいものが違うのは辛い。
 「正庁」まで来たとき、部屋の壁の中央に、高橋由一の「山形市街図」(たぶんそうだったと思う)の複製が掛かっていて、S先生が、「これ、本物?」とツッコミを入れた。ボランティアさんは、「いえ、違います。本物はしまってあって、皇族とかがお見えになったときには飾ります」と答えたので、思わず失笑してしまった。笑ったが、この問題は、絵画は誰のものかという問題を孕んでいて、本来これは、県立美術館にあるべきものなのよね、と思ってしまった。無論、現在の文翔館の環境での展示は無理だろう。山形美術館は公立館ではないし・・・。ボランティアさんのしかるべき答えは、「本物は大事にしまってあって、美術館から貸し出しの希望があったときには、貸し出して誰でも見られるようにしています」だろう。事実、こんなのとか→http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/1985/177.html
 まあ、こういうことを考えさせてくれた彼女に感謝すべきか。しかし、彼女は、よりによって、「記念碑の回廊」という歴史展示のコーナーをすっ飛ばしてしまったのである。このコーナーには、明治から現代のさまざまな写真や地図などが展示してあり、私としては、ここが一番見たいと思ったのである。しかし、残り時間はほとんどなく、彼女は先に進もうとするので、勝手に部屋に残った。初の県会議員の集合写真というのが興味深く、・・・とにかく、個人でもう一度来るしかないのだった。
 立石寺は楽しかったが、これは省略する。立石寺の秘宝館も見ごたえがあったが、詳しい資料がなく、メモを取っていないので、固有名詞を上げることができない。東北芸工大のA先生が、立石寺の調査を学生さんたちと一緒にされているとのことで、詳しくお話しされているのを、うらやましく聞いていた。風雅の国敷地内の土産物店で、大野六弥『ドキュメントやまがた―迫真の山形県戦後史―』(みちのく書房、1999)を買った。B級歴史書なのだろうが、視点の相対化という点では面白い本だと思う。
 写真は、立石寺からの眺め(2007年6月22日撮影)。