スカンセン(8月25日)

 8月25日(月)、8:31コペンハーゲン発、X2000に乗車、ストックホルムへ向かう。じきに国境の橋を渡る。マルメ―ルンド間は、放牧地の中に、防風林(屋敷林)つきの散居村。10時過ぎには、沿線の風景はこれまでの広葉樹から針葉樹林に変わる。ドイツよりは、スウェーデンのほうが、多少起伏がある。ところどころ、牧草地があり、人家もあるが、概してこんなところに住んでいたら寂しいだろうなと思うような、林が延々と続く。
 正午、リンシェーピング到着。工場の煙突から煙が上がる。すぐにまた針葉樹林。ところどころ、湖。X2000は、スウェーデン版新幹線なので、窓外を目で追うのに疲れてしまった。かなりぐったりして、ストックホルム到着(13:40)。いきなり大都市の出現。
 シティ・センター(長距離バス発着所)で荷物を預けて、教えてもらったバス停へ向かう。新聞売店で、24時間有効のバス・地下鉄・トラム共通チケットを買う(100クローネ)。47番のバスに乗って、しばらくしてから、運転手さんと目があったので、「スカンセンに着いたら教えて」と頼むと、反対のバスだという。同じ47番でも、東行きと西行きがあったのだ。折り返すから、ということでそのまま乗っていると、終点はカロリンスカ医科大学前だった。運転手さんのタバコ休憩。話好きの親切なおじさんで、オスロよりもストックホルムのほうがきれいだ、と自慢していた。
 30分ほどロスして、スカンセンへ。教えてもらわなければ、乗り過ごすところだった。入り口は、まるで遊園地だ。ガイドブックには、「世界初の屋外型生活実体験テーマパーク」と紹介されている。どこから上がろうか、ということで適当に右側から上ったが、右手は、なんだか旧式の冴えない動物園兼遊園地のような感じで、一瞬、げっ、と思った。
 しかしそれは束の間のことで、坂道を登っていくと、移築民家群が現れた。スカンセン自体の開館は、夏は夜10時までだが、建物内部は大概夕方5時で閉まってしまう。最初に、領主の屋敷に入った。コスチュームスタッフが積極的に話し掛けてくる。屋敷の庭には、外に向けて左右に大砲が据えられている。
 初等学校の校舎。1910年当時を再現しているそうだ。教室の机の上には、小さな黒板。その横に、細長い灰色のふわふわしたものがあるので、何か尋ねると、ウサギの脚だという。スタッフが、ウサギの脚で、黒板を消してみせたので、その場に居合わせた皆で大笑い。当時の子どもたちは、こういうものを使っていたのか。教卓の右横には、ウサギの絵の掛け図。左横には、子ども用の持ち物掛けのある小部屋と、その奥にトイレ。

 教室の右手奥には、教師用の住宅がついていた。そこのスタッフのお話では、養蜂もしていたとのことで、裏庭には、ミツバチの巣箱があった。教師業はお金にならず、養蜂のほうが10倍はお金になったとのこと。見学者の一人がオルガンを弾き始め、場が盛り上がっていた。
 移築民家の集合展示は、貧富の差が明確に出る。それぞれの建物の前には、スウェーデン語と英語でかなり詳しい説明が書かれている。兵士用の小住宅、農地を持たない貧しい家族の小住宅、フィンランド人入植地。家畜を飼っている農家と、そこに飼われている家畜たち。

 印象が強かったのは、“The Village Hall(Folkets Hus)”.小さな集会所で、中は、教会のような、椅子の並んだホールと、奥に小部屋が一つ。ガウンコートのような衣装の女性。Social Democratic Youth Clubのイニシアチブで建設されたとある。ここのコスチュームスタッフのおばあさんは、私が日本人だと知ると、“あなたの国の言葉で説明できない”と残念がり、奥から、日本語で書かれたリンネの本を出してきて、タダでくれた。
 奥の小部屋の棚には、各国語で書かれたFolkets Husのパンフレットがあって、日本語版もあった。見て、びっくり。そこには、「公民館」と訳されていた。確かに、成人教育の拠点としての機能は類似していただろう。しかし、英語の説明には、“This Club, like many other labour movement organization, had great difficulty in acquiring premises for its meetings. If a union was to be formed, or a political association was planned, the existing premises were for the most part closed to the arrangers.”となっているのだから、日本の公民館とは、成立の経緯が違う。

 この訳、間違っています、とおばあさんに伝えたかったが、どうにも言葉にならなかった。日本の公民館は、文部省の寺中作雄のイニシアチブと占領軍の後押しで、各地に建設されたと習ったし、『公民館の建設』も読んだけど、自分であちこちの一次資料に当たったわけではないから、沖縄の自治公民館はどうなんだろうか、とか、とっさにあれこれ考えてしまった。何はともあれ、こういう場所で、スウェーデンの成人教育の一つのルーツが始まったのだ・・・。
 更に先に進んで行くと、“The Temperance Hall”もあった。こちらは、もう一つの成人教育運動のルーツ、禁酒運動の拠点施設だ。すでに5時を回っていたこともあって、この建物は中に入ることができなかった。
 当日は軽く通り過ぎてしまったが、帰国後、スカンセンの小冊子を読んでいたら、もう一つの民衆運動(成人教育活動を含む)の拠点施設である自由教会のチャペルも、スカンセンには移築されていた。“Folkets Hus”,“The Temperance Hall”と、チャペル、の3つが、民衆運動の施設であるというコラム記事が書かれていた。
 スカンセンが野外博物館として優れている点は、建物の移築年や、最後に住んでいたのはどういう人々か、また当時の家族構成等がきちんと説明されている点だろう。スタッフの説明を聞いていると、雰囲気だけのノスタルジー展示ではないことが、伝わってくる。何年当時の住人の様子を再現した、という細かい設定がなされているようだ。

 小動物触れ合いコーナーを過ぎると、ブラウンベアの大きな飼育スペースに遭遇した。親子の熊だろう、小熊たちがじゃれあい、そこに一緒に、2匹のキツネ。キツネはクマに襲われないのだろうか。クマが近づくと、キツネは、木の上に上っていく。キツネの動きはすばやく、まさに、華麗なジャンプだ。大町のレンちゃんの小さな金網の小屋に付けられている“ぼくの華麗なジャンプを見てちょうだい!!”という手書きPOPを、悲しく思い出す。
 老朽化した施設のリニューアルすらままならない、日本の小さな自治体の、博物館協議会議事録での、真摯な議論の数々が浮かんでくる。それに比べて、このスカンセンの広大な熊・キツネ舎はどうだろうか。“Folkets Hus”以上に、今の私は、この広大な飼育スペースに心揺すぶられ、長い間、キツネを見ていた。

 少し場所を移すと、今度は、ガラス越しに、ブラウンベアを間近に眺められるスペースがある。旭山動物園以上の迫力で、熊が近づいてくる。おまけに観客は、私一人。
 熊舎の先で、なんだかやる気がなさそうに、足を柵からはみ出させて寝ているのは、角の落ちたエルク(ヘラジカ)らしい。馬かと思ったが。この季節は、みんな角なしになるらしい。

 その先に、網袋に詰まったなんだか汚いものを収蔵してある小屋があった。通り過ぎて、トナカイの飼育スペースまで来たときに、その袋の正体を理解した。トナカイの餌の苔だったのだ。で、うわ〜っ!トナカイ、トナカイ・・・柵のすぐ間近にまで来るではないか。しかもおとなしそう。これだったら、手を伸ばしたら触れる。辺りには、誰もいないし。・・・迷ったけど、触らずに、そのビロードのような柔らかそうな毛に覆われた角を眺めていた。

 そして、サーミ人たちの秋と春のキャンプ。民家群の手前に、サーミ人についての解説パネル。20世紀初頭のスウェーデン政府の政策が、人種に対する生物学的アイデアの強い影響下にあり、サーミ人たちを「人種的特徴」によって、劣位にあるとみなしてきたこと、スウェーデン国会が、サーミ人を先住民と認めたのは1997年であること、1998年、政府はこれまでの抑圧に対して、正式に謝罪したこと等が記されていた。この北側一帯からは、対岸のストックホルムの街並みを海越しに眺めることができる。

南へ下がっていくと、農家の庭先で、Folk musicの演奏をやっていた。若い男女が向かい合って、バイオリンの演奏。庭先にお客さんが思い思いに座って楽しんでいて、しばし、ここで休憩。

認識を新にしたのは、Allotment Hutsだ。わあーきれいな市民農園!と思って近づいたのだが、そこに書かれていた説明板を読んで、事の次第を理解した。この2つのAllotment Hutsは、スウェーデン南東の島から移築したもので、第一次世界大戦の最中、市民が極度な食糧難に見舞われたため、ワーキング・クラスの家族たちは、野菜を栽培するために、小区画の土地を与えられた。雨よけの小屋が建てられ、それが後に手入れされた小屋に替わったのだそうだ。赤いヒュッテの前には、1920年代の野菜栽培の様子が、黄色いヒュッテの前には、1940年代以降の、花とりんごの木が植えられた配分地を再現している。

ふと、フランスのペイ・ドゥ・レンヌ・エコミュゼの周囲にあった市民農園なんかも、ルーツに共通点があるのではないかと思った。英国のallotmentは・・・
さらに西の丘の上には、スカンセンがこの地に出来る以前、商人が、サマーハウスとして丘の上に建てた建物が再現され、ここは、70年ほどスカンセンのディレクターの住居として使用されていたそうだ。
 ローズガーデンを過ぎると、オールド・タウンに遭遇した。あたりはまだ明るいが、もう歩き疲れて、ざっと見て終わったが、その先に、下から上ってくる巨大なエスカレーターを発見して、初めて、自分が、(モデルコース?とは)逆さまにスカンセンを一周したことを理解した。オールド・タウンの中の、ガラス工房のようなところは、貸切のレストランになっているようで、団体のご老人たちが、ディナーを楽しんでいる。さらに、夜だというのに、エスカレーターから続々とセレブな男女が上がってくる。みな正装(といっても、こちらの女性は、スーツやドレスの下が、裸足に靴やつっかけサンダルみたいなのが、おもしろい)。スカンセンの中で、何か、パーティでもあるのだろうか。夜10時まで営業の意味が少し理解できたように思う。
 北欧滞在中、まだ明るいうちに寝てしまう(9時くらいでも明るい)日々だったので、日没が何時なのかは、よく分からないままだった。
 最後に:買ってきた本を見ていたら、オオカミの飼育区域を見損ねたことに気づいた。相当、広いスペースだったようで残念。

【追記】先ほど、面白いPDFファイルを見つけた。スカンセン自らの、日本人向けPRファイルのようだ。いろいろ見落としていたなあ・・・
興味深いのは、最後の部分。以下、引用。

 スカンセンは博物館であり、レジャーパークであり、またストックホルム唯一の動物園でもあります。約170人のスタッフが働く、文化省からの補助金により運営される財団です。その活動内容は、政府が定める規定により決定され、その規定にある目的の項目には、以下のように定められています。
“スカンセン財団は、野外博物館というスカンセンの特徴を充分に考慮した上で、スウェーデン文化と自然を活かすための活動や、文化遺産を中心に据えた様々なレジャー活動への関心に沿う生き生きとした環境を作り上げる活動を通して、現在のスカンセンをさらに拡大し開発する事業を行うことを目的としている。スカンセンは、北欧博物館財団との緊密な文化的科学的協力関係を保ちつつ、その活動を推進する。スカンセンは文化・歴史的建築物の存在を保護するもので、その活動は、利潤追求を目的としてなならない。”        http://www.skansen.se/docs/skansen_jpn.pdf