香川県立ミュージアム・善通寺

 朝、目が覚めると、目の前に高松港が見えた。

 フェリーが次々に入港してくる。

 新しいきれいなフェリーターミナルで、食堂から見える「小豆島・直島、豊島行高速艇、女木島・男木島フェリー、大島行客船乗り場」の看板が旅情をそそる。

 集合場所の香川県ミュージアムまで、海岸沿いをそぞろ歩き。宇野ゆきフェリー乗り場もあり、あの手この手の看板がさらに好奇心をかきたてる。

 香川県立ミュージアム渇水に配慮してか、館の前のお堀は水が抜かれている。

 バス組の到着までに徳島文理大の先生から、館の苦しい事情を伺う。昨年まで、館内エスカレーターの運転を止めていたとか。
 最初に、館の学芸職の方から、お話を伺う。以下は、私のメモと記憶による復元なので、聞き間違いがあればお許しいただきたい。()内は私が補足した部分。なお、館の沿革はこちら→http://www.pref.kagawa.jp/kmuseum/kannosyoukai/kannosyoukai.htm

 香川県歴史博物館は、平成4年頃から開設準備を始め、平成11年オープン。バブル崩壊直後の開館だった。学芸17名、建物100億、展示に20億をかけた。ところが、(平成19年)瀬戸内海歴史民俗資料館を分館として統合、学芸も縮小した。さらに、(平成20年に)美術館施設である香川県文化会館(美術部門)も統合、作品と学芸5名を統合して、香川県ミュージアムと名称を変更した。しかし、もともと歴史博物館として整備した館だから、美術館(機能)は、とってつけたようになっている。
 4階が、歴史展示室で、県の通史展示を、また集めた資料を死蔵したまま生かせない(ことのないように)、3階に部門展示室を設け、年間26回、小展示を繰り返してきた。研究成果の公開、また資料保存の観点から、長い間展示をしないようにしているが、今は小展示は年間10回程度行っている。
 3階の特別展示室は、700平方メートル、現在は備讃(の展示)、岡山との学芸交流で展示を行っている。この特別展示室は、(他のスペースと合わせて)1,200平方メートルにもなるように設計されている。入館者はここ1〜2年、下降気味で、館は曲がり角に立たされている。

 全体への説明は、だいたいここまで位だったと思う。そのあと、個人的に質問させていただいた。そこへ、Iさん、Kさんも加わった。以下、メモによる復元だが、数字等はきちんとメモできていない。

 高知県はすでに指定管理者制度を導入、財団が指定管理者になっている。愛媛県は来年から愛媛県総合科学博物館と、愛媛県歴史文化博物館指定管理者制度導入で、学芸が調査、資料管理を担当することになっているが、伊予鉄が指定管理者になる【イヨテツケーターサービス:参照サイトはこちら→http://ehime-c.esnet.ed.jp/shougai/suishin/siteikanri/shitei.pdf】。実態は、指定管理者が企画もやるのではないのだろうか(この部分不明)。これに対して、香川は、統合で乗り切ろうという形だ。香川県歴史博物館は、開館時、寺社調査からやろうということで、聖教の目録化も行った。
 徳島は、指定管理者制度について研究しなさい、と言われているそうだが、人員削減で乗り切っているのではないか。一方、政策部局では、道州制に向けて、とも言っており、(四国4県の動向が)気になるところだ。
 香川県では、市町立の館に、学芸職員が配置されてこなかったケースが多く、悪循環に陥っている。開館当初から、歴史1・考古1・民俗1くらいで(学芸が)採用されている地方なら、生涯学習事業なども展開して、学校利用等でもそれなりの成果をあげて地域でも必要な施設と認識されているだろうが、(香川の場合)学芸もなく、こんな資料を集めてどうする、といった悪循環に陥り、市町村合併で閉館になった施設も多い。(うまくいっているところと、)差がどんどん開いていると思う。小学校の統廃合も進んでいて、今までだと、地域のお祭りも小学校が協力してくれていたが、統合後は一部校区のために協力はできないといった例が出ており、地域社会は急速に崩壊していくと思う。
 行政内部でもチーム制などの導入で、課長や課長補佐の下にすぐ担当職員がつくという形で、担当職員も自らアンテナを広くしないと情報が入ってこない。(若い学芸員志望者も)就職先は減っているが、(ボランティア等)経験を身につけるチャンスは、昔に比べ増えてきていると思う。

 今、お話になったことを、うちの学芸員課程の年報に書いていただけませんか?と水を向けてみたが、「こういう話だけだと、グチと思われるから」とおっしゃられた。そこから、4人であれこれ話は止まらないのだが、集合時間まであと10分になって、展示を見る時間がなくなるからと、慌ててエレベーターに乗った。「もう時間ないですよ」とかIさんが言うのを、「いいのよ、走るだけでもいいから」と言って、常設展を走り抜けた。通り抜けての印象は、よくある地方の公立博物館。あそこと、あそこのを足して・・・。暗い空間の中に展示ケースが目立つ。資料も見ずにこんなことを申し上げるのは失礼千万なのだが・・・。

 バスは、香川県東山魁夷せとうち美術館へ向かう。先ほどの職員さんのお話では、せとうち美術館は、小さいけど、入館者が多く、統合の対象にはならないそうだ。
 さて、入ってみるととても小さな館で、あっという間に出口になってしまった。私は、東山魁夷には、興味がないので。「美の発見」という特別展をやっていて、魁夷の愛蔵品の展示があって、ローマ・ガラス等、いくつかきれいだと思うものはあったが。出口の先に、海と瀬戸大橋の見えるロケーションの素晴らしい喫茶コーナーがあった。ここが売りなのね、は共通見解だっただろう。大きな船が、橋の下をどうやって通るのだろうと眺めていると、橋に近づくと、意外に船のほうが橋げたより低いのだった。


 面白いものを見た。ガイドツアーのようなことを館内でやっていたが、マイクの声が、直接イヤホンに届くらしい。他の見学者には、音が聞こえない。狭い館での、苦肉のアイデアか。聞きたくない解説を聞かされずに済む工夫だ。

 午後からは、善通寺に向かう。途中、旧善通寺偕行社(重文)に案内され、教育委員会の方から、解体復元の説明をしていただいた。善通寺市は軍都。今は、自衛隊の基地がバスの窓から見える。

総本山善通寺弘法大師御誕生所)。四国学院大学の坂田先生が、ご案内くださるとのことで、お寺に着くと、坂田先生が、法衣に財務部長の名札をつけて登場されたので、びっくり。折から、宝物館で、国宝2点を公開されていて、拝観させていただく。「一字一仏法華経序品」と「三国伝来金銅錫杖」。前者は特に見事であった。御影堂は、善光寺さんのようにきらびやかで、戒壇廻りもあったが、帰りの列車の時間が近づき、残念ながら、戒壇めぐりはしないで、駅へ向かうことになった。宝物館には、他に心惹かれる仏様もあり、機会があれば、いつの日か一人、その気持ちになって訪問しようと思った。寺社とは、そういうところだろう。

 境内に、見事に大きなクスノキがあった。

【10月26日、写真追加】
キャセロール編集人さんの疑問に答えるべく、善通寺金堂前の光景をば。