ココア浴

 松かさ病のグッピーデカ君。4月12日(月)にグリーン・F・ゴールド・リキッドの薬浴を開始して1週間。可もなく不可もなく、で1週間が経過。思い切って、昨日(18日)、ココア浴に切り替えた。
 朝、薬液プラス塩水を半分抜き、ごく薄い塩水に半分換水。夕方、純ココアをお湯少量で溶き、カルキ抜きした水に混ぜ、また半分水を抜いた水槽に、プラカップで少しずつココア水を注いでいった。デカ君のいる隔離プラケースは7リットルくらい入る(はずな)ので、ココアは、ゼリーなどについてくるスプーンに薄く1/3くらいにした(規定量は30リットルに小さじ1杯だそうだが、私の性格では、そんなにきちっとは無理)。
 昨日はここで消灯時間になり、ココアの煙の中、デカ君は、静かに過ごした(はず)。
 今朝、底面に少し、糞。デカ君、特に異状なし。出勤。午後4時前帰宅。果たして、デカ君の水槽の底には、待望のココア色の糞が散らばっていた。お腹が開通したみたいだ。(下の写真の底の黒いのが糞。壁面のもじゃもじゃは、こんなところでも生えるコケにココアが絡みついたもの)

 沈殿したココアをつついた跡が点々と残っている。ココアをついばんでは、排出した模様で、目の前で太いウンチも。


 3/4くらい、ココア水を換水。一緒に糞も吸い上げる。こくりゅうさんは、ココア浴中は、糞を取るだけで換水はしないそうだが、金魚とグッピーでは違うかも・・・で、アンモニアが気になるので、大胆に換水した。換えたすぐは、煙幕が張ったようになって、視界はきかない。

今日もここで消灯時間。幸運を祈るばかりだ。

松かさ病治療記

 長らくブログを書けなかったが、身内の病気、新学期の始まり・・・とバタバタと過ごし、気がつくと、もう月の半ばだ。
 水槽では、初代メスが、松かさ病にかかってしまった。忙しくて、2日ほど水換えをさぼったところ、先の日曜日、初代メスの鱗が、ささくれだっているのを発見した。お腹がパンパンになっていて、出産が間近くて、葉蔭に隠れているのだと思って、気付くのが遅れた。夕方、隔離して塩水浴。
 月曜、純ココアを買って帰る。松かさ病には、ココア浴という治療法がある。金魚だと、ココアを餌代わりに食べるというので、試しにパラパラとココアを入れてみるが、グッピーは食べる気配なし。買い置きしていたグリーン・F・ゴールド・リキッドで治療してみることにした。塩水を半分抜き、足し水してから薬剤ほぼ規定量を少しずつ入れていった。
 初代メス(デカ、と呼んでいる)は、そこそこに元気。
 火曜、薬液を半分交換。
 水曜、薬餌を作った。普段やっているフレーク状の餌を、水100ccにグリーン・F・ゴールド・リキッド1ccを混ぜた中に30分浸けて、不織布(台所の水切り)で濾したもの。デカ君の隔離水槽にこの薬餌を入れてやると、喜んで食べた。そして、ようやくウンチ。お腹はパンパンで、脱腸こそ治ったものの、そもそも脱腸事件のそのまただいぶ前から、エロモナス菌にやられていたのだろう。単にメタボと思っていたのが運の尽きで、かわいそうなことをした。早期治療をしてやれただろうに。そもそも、諸悪の根源は餌のやりすぎ。
 今回、餌のやりすぎになったのには訳があって、本水槽に戻したホクロ君と、初代オスの1匹が、やはりこのところ調子が悪く、こちらはやせてフラフラしている。この2匹が餌喰い競争に負けるので、つい、追加で餌をやっていたのが、いけなかった。
 外部フィルターの細目フィルターパッドを交換、パイプとホースも外して中を洗った。これがすごい・・・パイプの内部からはドロドロの汚いヘドロがたくさん・・・ここが細菌の巣窟になっていたとしても不思議はない。掃除後、びっくりするほど、水が澄んだ。
 写真は、現在、絶好調の新60cm水槽。パールグラスやサンパウロ・レッドアンブリアが根付いて、順調に伸張している。酸処理の威力を実感。

 いつまでたってもうまくいかないコケコケの本水槽(60cm)。

 隔離中のデカ君。

 デカ君アップ。松かさ病、何とか治りますように。

 
 薬餌の作り方は、Hinconさんの「かんたんな金魚の飼い方」を参照させてもらった。http://members.jcom.home.ne.jp/m381t/01frame02.html
 ココア浴は、こくりゅうさんという方が開発されたらしい。ネット上をたどっていくと、「夢の島」(2ch風BBS)に初出と思われる書き込みが見られる。http://nirvana.s15.xrea.com/ichiran/kinkaku/kinkakuita/#3 (夢の島
 夢の島にたどりついたのは、「ぷーさんと愉快な仲間たち」のサイトから。http://www12.plala.or.jp/poo_san/tie/byouki/byouki_matsukasa.html
 松かさ病克服記としては、「銀ちゃん松かさ闘病記」がかわいい。http://www.ozawa.to/livegin/matsukasa.html
 完治までに1カ月はかかるようだけど、大事な初代メスなので、ゆっくりと治療用水槽で、穏やかなシニアライフを送らせてやりたい。

当たったみたい・・・

 今日、何気なく大学アドレスを開いてみたところ、「科研費交付内定のお知らせ」というメールが来ていた。思わずカレンダーを見て、今日はエイプリルフールだったっけ?と何度も確かめた。追って、交付申請書、書きなさいメール。
 なぜ、今年のが当たるのか??
 以下、分析。
1. 細目
 前年度、「博物館学」で申請して苦杯をなめたので、やはり出す細目を間違えたと悟った。現在の実用的色合いの強い「博物館学」枠は、私の研究内容では、まず当たらないと考えるのが正しい(「基盤研究」なのだから、理論研究・基礎研究に光が当たってもいいと思うのだが)。従来通り、「教育学」で出して当たりくじを引いた。
2. 研究課題や内容
 至って無難な、これまでの研究を継続し、まとめるような地味な(堅実な?)内容で出した。前年度の方が絶対に面白い・・・と思うのは本人だけ?
3. 申請書の書き方
 科研の評定基準を読んだ他、「象の卵」に始まり、申請書の書き方をネットでかなり調べた。その結果、色を付けたりアンダーラインを引いたり、研究計画は表にして、具体的なタイムスケジュールを入れるなど、審査する人に、読みやすく分かりやすいよう心がけた。
4. 連続では当たらない?
 科研は連続では当たらない、と言われる方も。私の場合も、○×○×○で推移している。落とされると、内容がまずかったのかなあと思ってしまうが、実際のところはどうなのだろうか。

 飽きっぽい私としては、秋に書いた申請書の内容をすっかり忘れていたし、別の調査に手を染めたり、学会発表の内容を思いついたりしていた。だから、正直なところ慌てた。それに何より、前年度落ちた研究が本当は、やりたかったりする・・・その意味で、先日引用した田崎さんの言葉に慰めを感じたり、共感したりしていた。
 でも、贅沢な話だ。今回当たりくじを引いた内容も、もともと自分で選んで始めたことである。これで、個人では手の出なかった高い雑誌を買うこともできる。セミナーなどにも参加することができる。正体不明の春のけだるさを、何とか脱却したいものだ。

新年度雑感

 新年度が始まった・・・というか、始まりかけている。今は、嵐の前の静けさ。
 現在の職場に就職してちょうど10年が過ぎた。10年あれば、もっとまとまった研究をするなり、学芸員課程の充実に尽力するなり、何がしかの貢献はあってしかるべきだが、どちらもあまり成果のないまま、10年を過ごしてしまった。最近は、職場では、備品のような感じになっているのではないだろうか。粗大ゴミに出されないように注意しないと・・・。
 最近ブログが滞っているのは、色々な事情があるのだが、この10年という区切りの時期に、何か書いておきたいと思っているところに、非常に印象深い記事を目にした。物理学者の田崎さんのHPの記述である。長文の記事の中から、少しだけ(と言っても長いが)引用させていただく。

ぼくは、90 年代の前半までに、量子スピン系やハバード模型でかなりよい仕事をしていたわけで、普通に考えると、それらの業績に支えられ研究の流れに影響力を発揮しつつ研究会や国際会議を主催したりして、いわゆる一つの「分野の大物」を目指すのが、まあ、自然な進み方だったと思う。でも、ぼくをご存知のかたはわかってくださると思うけど、そういうのは、全然おもしろいとは思えなかった。もっと違うことをやろう・やらなきゃと自然に思ったし、もちろん、誰に何も強制されない立場にいたから、思った通りに新しいことを始めた。(・・・引用者中略・・・)今となってはよく覚えていないが、統計力学の基礎付けや、熱力学と統計力学の関係づけ、非平衡など、いろいろなことを、ほぼゼロから、考えまくって過ごした気がする。



当然ながら、これで論文の生産量はガタンと落ちる。というか実質、数年間はゼロになる。それまでは、年間に PRL を 2 本と本格的な数理物理のフルペーパーを 2 本出すみたいな、かなり激しいペースで出版していたのだから、激変である。凡庸な学者観からすれば、田崎の「出世街道からの脱落」としか見えないものだろうし、実際に、それに近い評価に直面したこともある(もちろん、そういうことを言う連中というのは  以下、けっこう書いてしまったのだが、冷静になって自粛)。でも、なんでこれが悪いことなんだろう? 論文を書き続けなければお金がなくなってしまうアメリカの研究者ではないのだから(←ちなみに、下村さんは名大での安定した助教授の地位を捨てて、敢えて、そういう世界に飛びこもうと再渡米したとのことだった)、次の大きな流れをみきわめるために、じっくりと時間をかけて、多くのことを考え尽くすのは、素晴らしいことではないのだろうか? だいたい、既に確立した業績をもっている分野でコンスタントに仕事を続けるのは、プロの科学者にとっては楽で安易なことである。敢えて未知の分野に進んでゼロから自分を鍛え直すのは、時間もかかるし、リスクも大きい挑戦だ。これができるのが、日本の大学で幸運にも終身の職に就けた者の特権だと思うし、逆に言えば、せっかく得難い幸運を手にしているのにそれを活かさないのは怠慢じゃないのか?


というわけで、ぼくは「実質的に論文ゼロの数年間」に突入していった。


http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/1003.html#31 田崎晴明「日々の雑感的なもの」

 田崎さんのこの文章を読んで、自分の中でもやもやとしていたものの視界が晴れるような気がした。
 私自身の研究は、ここ2年ほど、明らかに停滞している。世の中の、あるいは社会の大変動の中で、自分自身の価値観が揺らいでしまい、結論として何を主張したいのかが、まるで見えなくなってしまったからだ。市民参加論から手をつけて、時代の潮流の中で、エコミュゼ、指定管理者制度、美術館建設反対運動、博物館法改正、公益法人制度改革、と新しい動向を追い、理解することにエネルギーを割き、その一方で、一番大事に考えてきた個別博物館の沿革研究に関しては、いくつやってもきりがないというか、どのように普遍性をもった研究のまとまりに高めるのか?の答えが出ないまま、頓挫している。
 同じ分野・関心で、お手本になるような先行研究や研究者がおられれば話は簡単なのだろうが、不勉強&出不精にしてなかなか、そうしたチャンスに巡りあえない。
 日本語で探せないのなら、外国語で探せば、何かヒントが得られるかもしれない・・・そう思いながら、もう2年ほどが経つ。途中で簿記やグッピーに浮気(逃避?)して、現在に至る。
 科研は、ある程度、実績を出したテーマでないと当たらないのが辛い。でも、上記の田崎さんの記述を読んで、「未知の分野に進んでゼロから自分を鍛え直す」に大いに勇気づけられた(田崎さんとは、研究者として雲泥の差があることは、ここでは置いておくとして・・・)。自分でも答えが出ている通り、現状のただ延長線ではダメだし、そして、ある先生が言って下さったとおり、「今後、どう理論化を進めていくか」をまじめに考えなくてはいけない。(この分野で理論というのは、非常に難しいと思うが・・・)
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 日常的には、掃除・掃除! 仕事がちゃんとできるように、探しものに時間を費やさないでいいように、身辺整理。(と言いながら、水槽のコケとスネールばかり取っている)
 本や文献もちゃんと読まなくては。(と夢想しながら、魚の写真集ばかり見ている)
 決意と実行がまるでかい離している2010年4月の始まり・・・

Musa第24号刊行

Musa(追手門学院大学博物館学芸員課程年報) 第24号 目次
               
異次元体験の驚きと戸惑い〜そしてそこから始まるものとは・・・〜・・・今木 明(財団法人進化生物学研究所)


日本人による宋胡録収集―宋胡録人形の記述分析を中心として・・・角南 聡一郎(財団法人元興寺文化財研究所


博物館のアウトプットと予算査定・・・岡本全勝(内閣府)・大嶋貴明(宮城県美術館)・佐久間大輔(大阪市立自然史博物館)・瀧端真理子(追手門学院大学


おらが町の博物館を目指して〜あくあぴあ芥川の活動紹介・・・高田みちよ(芥川緑地資料館)


教育スタッフの仕事 来館者とともに育つ博物館を目指して・・・釋知恵子(大阪市立自然史博物館


2009年度『博物館実習日誌』より
2009年度博物館実習レポート「博物館実習で学んだこと」
2009年度各館実習、実習先一覧・実習生名簿

今年度も、学芸員課程の年報を何とか年度内に間に合わせることができました。
ご寄稿いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
発送の方は、ぼちぼちと送らせていただく予定です(これが、最大の苦手な作業・・・お礼状、その他、送ります、と約束して果たせていない案件多数。どうかお許し下さい。)
言い訳はともかく、今年は全97頁のぶ厚い冊子に復活しました。ご希望の方は、本ブログプロフィール欄をクリックして、その中のメールアドレスまで、ご連絡下さい。

グッピー闘病記/ヒモムシ成長

 最近の水槽は、というと。
 元気のなかったホクロ君を隔離したのが、3月3日のこと。その後、散々な目にあったホクロ君の水槽は、塩水を徐々に抜いたあと、毎日半分換水、テトラバイタル少々、そして元いた60cm水槽の水を少しずつ足していった。私の姿におびえる日々が続き、拒食ぎみ。思い切って、今日、60cm水槽に戻した。下の写真が隔離していた水槽(真水に戻してからは、ヒロハノエビモとタヌキモを入れてやった。これで少し、水面近くまで出てくるようになった)。

 本水槽に戻してみると、フラフラしながらも、早速、メスを追いかけ始める。餌も少しずつ食べている。グッピーは群れでないと安心できない魚??
 
 グッピーが増えすぎて一触即発状態だった本水槽からは、先日来2度に分けて、計20匹を理科の先生に返した。5匹貰って、20匹返したのだから4倍返しだ。でもまだまだ増え続けている。本水槽のコケとスネールがあまりにひどかったので、思い切って巣窟になっていたウィローモスごと取り除いた。跡地に、新水槽と30cm水槽からトリミングした水草を移植。1本だけ新しく買ったインドジャイアントアンブリアはなかなかいい感じ。せっせと残ったスネールを取っていると、ほとんどいなくなった。下が、リニューアルした一角。

 下の写真の新60cm水槽は、泣く泣くメスだけにした。増えすぎを少しでも阻止するため。でも、メスだけだと、オスに追われて逃げ回ることがないので、活気に欠ける。当面は妊娠中のメスがどんどん出産・・・・

 さて、空家になった金魚のお部屋S(30cm)をいよいよ片づけようかと決心して、コケだらけのチェーンアマゾンをピンセットで引っ張ったところ、根張りのいいヒロハノエビモがごそっと抜けて、案の上、大きなヒモムシが2匹根っこについて来た。
 慌てて、取り置きのペットボトルに移動させ、エアーを分岐させ、クロネコさんに電話。伸びると4cmはあるし、太くて卵を持っている模様。生体観察用にはもってこいのはず。



↑ 右側に縦に長く伸びているピンクのがヒモムシ。伸縮自在だ。ペットボトルにO2ストーンを3個入れて、発砲スチロールの箱に詰めて送り出した。今度は札幌まで生きて届きますように! 金魚のお部屋Sは、水替えをして、まだしばらく維持することにした。グッピー抜きで、ヒモムシ君は生き続けることができるのだろうか?

近世古文書研究会

 久々に外出。連休初日の暖かい日とあって、最寄りのバス路線が走る国道が大渋滞。電車の中も満員。京都駅も人でいっぱい。近鉄も観光客でいっぱい。華やかな人ごみの中、じつに、地味〜な奈良県婦人会館なるところへ行く。
 全史料協近畿部会近世古文書研究会に参加。私は2回目だけど、何と今回で91回目だそうだ。藤本仁文さんによる「財団法人柳沢文庫の活動と課題」。「公益法人制度改革の渦中にあり・・・」という案内文を見て、これはぜひ行かなくっちゃ、と重〜い腰を上げて、出かけた。ちょうど、日程がよかったということもある。
 最初に司会・進行役のSさんから、「地域史料の調査研究を、お金がない中で仕事をつなげるのに、館の立ち上げや、新たな市町村史編纂といった独立事業が期待できない中で、どのような形が可能なのかを考えるステップにしたい。可能な形として財団というのがあるのではないかということで、長期間に活動を維持してきた事例として、柳沢文庫の藤本さんに報告をお願いした」といった趣旨説明があり、まず、私としては、ぶっ飛んだ。
 私の頭の中では、すわ、財団は存続の危機!みたいに思うのだが、歴史系の皆さんとは、まるで認識が違うようなのだ。というか、財団法人でさえ輝いて見えるほど、文献史学研究者の置かれている状況が厳しいということなのだろう。
 最初にびっくりだったが、藤本さんのご報告も、ロングの質疑応答も、非常に面白いものだった。今、ネットで検索してみたら、財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会のHPには、ディスクロージャー資料として会計書類一式が載っていた。何も下調べなしに行くのではなくて、ちゃんとこの頁を見て、質問を考えてから行くんだったな、と後悔。でも、お話の中身は、ぜんぜん、そういう方向のものではなかったのは、ある意味当然で、ただ、財団の成り立ちや、現在の組織のお話は、民間財団の一例として、とてもリアルに感じることができた(博物館関係の民間財団は、おそらく非常に複雑な成り立ちや経緯があるのだろう。興味はあるが、あまり・・・たぶんほとんど・・・研究が進んでいない分野だと思う)。もちろん、藤本さんは非常に優秀な方なのだろう、学芸員としての本来のお仕事も、精力的にこなして来られたようだ。
 詳しくは、近日中にアップできたらと思う。

 奈良を出て、京都に出て、非常勤先の卒業記念パーティーにお呼ばれしてきた。帰りに、久々に(何年ぶりかに)河原町カトリック教会のあたりから河原町通りを四条まで歩いた。方向を間違えたかと疑うほどの、表通りの変貌ぶり。パチンコ屋やゲーセンや、カラオケ屋とか、やたらガラス張りの味気ない建物が並び、昔の河原町の面影はどこにもない。浦島太郎の心境。ずっと、京都には通勤しているのに、地下鉄利用のトンボ帰りばかりで、地上を歩いたことが、全くなかった。四条界隈は、思い出の中にだけあるのがよいのかもしれない。