ICOM上海大会4日目/チャイニーズ・カルチュラル・ナイト

 今日(10日)も楽しく一日を過ごした(日にちがずれています)。午前中は、ICOFOMのシンポジウムへ。“Do museums have the duty to restitute?”コレクションの返還問題について熱く議論が交わされた。政治的、かつ非常に複雑な問題だという認識はもちろん共有されている。解決策に向けての対話の必要性、コレクションそのものだけでなく、モノにまつわる研究成果の提供も問われていると理解した。様々な立場、各国の思惑が垣間見え、面白い。ワーキングペーパー風の冊子が紹介されていたので、思い切って声をかけ、PDFを送っていただけることになった。

 午後は、昨日知り合ったWさんに勧められたICMEのシンポジウムに参加した。途中からになってしまったが、学会発表のような感じで、うん、これなら語学さえクリアできれば(そこが問題だが!)、チャレンジできるよな、という感じ。むろん、分野が民族学なので御門違いなのだが、内容は、エコミュージアム、遠隔立地の博物館について等で、親しみが持てた。

 夜は、チャイニーズ・カルチュラル・ナイトというオプションに申し込んでいたので、これに参加。アクロバットを見るのだが、先にお食事。写真は、バスで一緒になったメンバーと。アイスランド、インド、台湾からの皆さんと。台湾の方たちがとても積極的で、テーブルで盛り上がった。

 アクロバットは、はらはら、楽しく、そしてやや不憫な気がして、彼・彼女らは、オリンピックの体操選手になれるのではないかと思ったが、そういう視線自体が西洋の価値観に犯されているのかも、とか思って見ていた。これも中国の無形遺産か?



 皿回しやナイフ投げのジョークは素直に笑えた。
 さて、明日は念願が叶って、エクスカーションの行き先を換えて貰った。国家湿地へ。さて、ワニ?に会えるだろうか・・・・(上海動物園にもいたけど、湿地にいたら、感激は違うよね。生息地なのか???)

ICOM上海大会2日目・3日目

 昨日は、急に寒くなったこともあり、また生まれて初めての国際会議出席で、夜になるとどっと疲れが出て(英語を聞いて、日本語でメモするのは不可能と知った。理解できたフレーズを英語のままメモする方がまし、と気づいた。中国語からの英訳同時通訳は猛烈なスピードで理解不能)、早くに寝てしまった。おかげで今日は、体力を回復。念願のMINOMミーティングにも参加でき、少し、日本人以外の人とも仲良くできた。これで今回の目標は達成!
 昨日は午前中が基調講演(演説?)。



お昼、偶然、JECOMS(日本エコミュージアム研究会)の大原先生に遭遇。大原先生も、MINOMの会合がお目当てとのこと。
午後からは、ICOFOM(Museology)のシンポジウムを覗いてみた。テーマは‘A New Global Ethics on Deaccessioning and Return of Cultural Heritage.’アバウトな運営で印刷物もなく、興味深い話のようだが、ヒアリングだけでは理解に苦しむ(同時通訳は、英語―中国語のみ)。
そして今日は、午前中はオープンフォーラムの‘China−Netherlands−South Africa Forum’に出てみた。この会は、よく練られた運営で、3カ国3人のプレゼンに対して、ディスカッションの後、予め配布されたオランダの冊子の裏表を使って、参加者全員で投票をするというディベイト方式。


このオープンフォーラムで発言していた中国とアメリカのお二人にたまたま、お昼に話す機会があり(日博協や科博の皆さんが、“Museums in Japan”を会場内で配布していたところで、アメリカ人のWさんが大原先生を探していた)、MINOMのミーティングにお誘いした。
午後、MINOM(International Movement for a New Museology)ミーティング。知り合いが増えて、やや安心して、小さな会議室に足を運んだ。文字通り、ラウンドテーブルになっていて、皆さん、フレンドリー。3名のプレゼンのあと、大原先生が簡単に日本の動向を話される。バイリンガルな主催者のお一人が、英語―スペイン語ポルトガル語(?)間を同時通訳。エコミュージアムのその後の動向(傾向?)を知ることができたし、こんなに簡単にMINOMにアクセスできたこと自体が驚きである。入会希望の紙も書いてきた。


参加者は、ブラジル、ギリシアポルトガルシンガポール、中国、アメリカ等20名程度、参加者全員で自己紹介。「ICOMは、古い組織だ。ICOM公用語が英・仏・スペイン語なのに、今次大会では印刷物が英語・中国語しかない、次回のリオ大会では、仏・スペイン語も!」と言語的多様性を重視されていたので、救われた思いがした。‘Sociomuseology 4’も頂いた。バックナンバーは、PDFがネットにアップされているという。

今回のICOMへの参加は22カ国から(もっと多いような気がしてきた。聞き間違いだったかも。正確なところは不明、11月12日追記)、と初日に聞いた。全参加者数は定かではないが、驚くほどの規模の参加者だし、数の上では少数派のアフリカ勢の活発な発言に驚いたし、皆、非常によく自分の意見を述べる。これが彼我の違いか、と身を以て知る。恐らく、内容的には、そんなに難しい話ではないと思うのだが、言葉の壁は厚い。全体会議では、日本語同時通訳もあるように聞いていたが、日本からの参加者が少なかったためか、日本語だけ外されていた。(同時通訳は、中、英、仏、西、露の5カ国語)。
お昼には、Museum Trade Fairを覗く。上海博物館や、台湾からの故宮のスタッフは、日本からと知ると、特別に立派な図録や案内をプレゼントしてくれた。国家湿地にワニがいる、と知ったのも、大収穫。11日のエクスカーション、このコースにすれば良かった。換えて貰えないかな?

上海動物園/毛沢東旧居/衡山馬勒別墅飯店/ICOM上海大会開会式

 上海、面白すぎて、早くも2日目で、もう帰国後、社会復帰できなくなりそうな勢い。朝、ホテルの窓から下を見下ろすと、何か不思議な建物が。庭園で写真を撮っている人がいるので、中に入れそう。あとから、これが衡山馬勒別墅飯店(1936年建築、上海初の近代優秀保護建築物に指定)だと知る。

 上海動物園へ。地下鉄が動物園まで開通していると思い込んで、10号線に乗ったところ、上海動物園へ向かう線はまだ開通していなかった。さて、困った。タクシーを止めようと手を上げかけたところ、結構イケメンなお兄さんのバイクが止まって、乗っていけ、という。ノーサンキューと言うも、大丈夫、大丈夫、と。断り切れずに、乗る。ノーヘル、それに、中国の道路は色んなものが出てくるので、怖い。が、けっこうスピーディーに動物園に着く。謝謝、と言って別れようとすると、代金を請求された。えっ?という感じだったが、仕方ないので10元札を渡す。133円くらい。まあ、無事に着いたし、タクシーより速いので、いいとしよう。でも、レディーは真似をしないように・・・・白タクならぬ白バイである。意味違うけど。
 上海動物園ですごかったのは金魚。これに尽きる。野外に丸いガラスの閉じた柱が何本かあり、その中に、大きな金魚がいっぱい。壁側にも、金魚水槽。出目金(銀ちゃんみたいなの)、ランチュウ、その他、これでは生きているのが辛かろう・・・と思うような変な金魚が満載。



サル、ゴリラも見ごたえあった。お目当ての草食動物は、北京動物園の方が充実していた。上海動物園は40元。園内マップ1元。


 帰りはタクシーで2号線の淞虹路まで出た(15元)。南京西路で降りて、ホテルまで歩こうとして、古い建物の不思議な一角に紛れ込んだ。ここも近代優秀保護建築物に指定されている張円という地区(1872年から建築)。家の前でマージャンしてる人たち。


 さらに歩いていくと、毛沢東旧宅というのがあったので入ってみた(入場無料)。ボランティアの学生さん2人がびちっとついてくるので、やや困惑。彼らは中国語オンリーなのだが、親切についてくる。毛沢東のパッチ(股引?)とか。若い時代からの顔写真の変遷とか・・・

 遅めの昼食。何かよく分からない店で焼きそばを注文。8元でスープ付き(日本円で106円くらい)。ちょっと脂っこいけど、まあいける。

 そして、衡山馬勒別墅飯店(クラシカルホテル)へ入ってみた。

ガーデンカフェとあるので道を進んで行くと、コスプレ撮影会。・・・で、このしゃれたカフェでカフェラテを注文。45元。さっきのヤキソバが気の毒になる値段だ。このホテル、室内もとてもおしゃれだ。






 夕方、ICOM大会の会場、エクスポセンターへ。ウエルカム・イベントのパフォーマンスがすごかった。チャイニーズ・アクロバットウェスタン・バレーとか、お琴とか、最後、京劇まで見れたのだった!すごすぎる。






そして、ウエルカム・ディナー(中華)。何と、国別にテーブルが指定されていて、折角、外国の人とお友達になるんだ!と意気込んで来たのに、日本人ばかりと名刺交換。なんでこんなところで、とは思うが。

 また、写真アップしますね。寝ないと明日起きれない!
 

上海到着/上海海洋水族館

 無事に上海のホテルに到着しました。暑いです。リニアモーターカーにも地下鉄にも乗りました。行きのJAL便、搭乗率は50%くらい。大丈夫でしょうか? 40元で上海公共交通カードも買いました。
 上海、季節の関係もあるのでしょうが、北京より緑が多いです。人が多いのは東京みたい。もっとすごいかも。これだけ人がいたら、競争心が盛んになるのは当然かと思います。地下鉄の中はカップルがいちゃいちゃして、ここはパリか?状態。ゲームや携帯いじっているのは日本と同じです。
 南京西路あたりにいるのですが、街はおしゃれです。古いものと新しいものが混在し、お店がいっぱい。
 とりあえず、今から上海海洋水族館へ行って来ます。
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写真を追加しておきます。陝西南路近辺です。




上海海洋水族館、行って来ました。アジア最大級という触れ込みですが、「大きい」というのはトンネル水槽全開、という意味でした。トンネル水槽自体はこちらとしては珍しくも何ともないので、若干、期待外れでした。

圧巻は、水草のグリーンが生える大きな熱帯魚水槽。コケもほとんどなく、見事な管理です。最近、アクア・トトぎふの水草水槽が寂しいことになっているので、熱川バナナ・ワニ園水草水槽が比較に上がるところですが、上海海洋水族館の水草水槽、実に見事でした。これが一番の感激。


ところが、その他の多くの小型水槽では、造花というかかなり嘘っぽいレプリカの水草が使われているため、がっかりでした。管理が大変なのは分かるのですが。写真に撮ったのは、レプリカが使われていない水槽です(名前、間違っていたら御免なさい)。
キャットフィッシュ

プレコ

ノコギリザメ

アフリカ水槽

大鰭魚

これは、かのトーマン君でしょうか?

シードラゴン

深海魚・・・これまでに見た記憶がありません。

さて、その後、ICOM大会の受付をしに、指定されたホテルを探しに行ったのですが、住所しか把握してなく、適当に地下鉄8号線の成山路で降りたところ、迷いに迷いました。東西に長い成山路をウロウロ・・・アパートやマンション群ばかりで、こんなところに4つ星ホテルなんて本当にあるの?という。仕方がないので、ファミマに入って、地図を開き、近い番地を見つけ、歩きました。結局、地下鉄6号線の東明路駅のまだ東にありました。足が棒とはこのことかと。
ICOM上海大会の受付、スタッフは学生ボランティア中心なのでしょうか、こちらが想像したものより、ラフな感じで、すぐに日本語の分かる学生さんが対応してくれました。でも、なんか、全体にけっこうゆるい感じ。参加者は圧倒的に中国人が多いようで(当たり前か)、インド系、イスラム系の方を少し見かけました。日本からも、それなりに参加者がいるようですが(JAPANの名札が転がっていた)、さて、どんな方が参加されるのでしょうか? 7日の夕方が開会式です。

歩きまわっての発見。上海の団地(マンション群)は、大通りに面して門があり、必ず守衛さんがいます(近所の人とおしゃべりしています)。ICOM事務局からのメールの地名(成山路833号)を見せて、守衛さん何人かに道を聞きました。団地の中を行け!と言われる方もありましたが、まさかホテルは団地敷地内にはないでしょう。

ちなみにホテルは有料ADSLで、遅いです。写真が反映されていないかも。

ラウンドテーブルのまとめ

 9月20日開催のラウンドテーブル「指定管理者制度と情報公開」(日本社会教育学会第57回研究大会、於神戸大学)の簡単なまとめを、学会通信用に書きましたので、ここにも貼り付けておきます。
 当日、ご報告いただいた田中孝男先生、ご参加下さった皆様に、お礼申し上げます。なお、当日のテープ起こし原稿、配布資料等は、2011年3月末発行予定の『追手門学院大学博物館学芸員課程年報Musa』25号に掲載の予定で現在準備を進めております。

指定管理者制度と情報公開  瀧端真理子(追手門学院大学



 本ラウンドテーブルでは、参加者の皆さんから簡単な自己紹介をいただいたあと、瀧端から企画の趣旨説明を行った。情報公開請求の発端は、神戸市立須磨海浜水族園の指定管理者交代の経緯を調べ始めたことで、資料収集の一環として、新・旧の指定管理者の応募書類を公開請求したところ、後者の書類に対して非公開決定通知を受け取ったため、異議申立てを行い、情報公開審査会で意見陳述を行うまでの経緯と、その間に疑問に感じたことを報告した。


 続いて、田中孝男氏(九州大学)からは、今回の一事例に様々な問題が含まれていること、指定管理者制度の要は「情報公開とモニタリング」であることが述べられ、法の解釈として行政上どうすべきか、法律学ではどういう問題点を出すかについて、以下の3点から説明がなされた。

1.指定管理者の情報を内容と保有主体によって分類する
2.指定管理者の多くが出資法人であり、これらに対する情報公開の仕組み
3.政令市の条例や運用に関する要綱等から、法律的な整理をしたときにどのような解釈が可能か。


 そして、2008年総務省通知で「指定管理者の選定過程の透明性」が国からも求められていること、法人情報非開示の基準として神戸市の場合、条例では「利益を害すると認められるもの」となっており、開示による不利益が客観的具体的に存在する必要があることが指摘された。また、当初の非公開決定通知書に客観的具体的理由の提示がなく、行政手続条例違反であること等が指摘された。

「指定管理者制度と情報公開」ラウンドテーブルのお知らせ

 来る9月20日(月)、日本社会教育学会第57回研究大会において、ラウンドテーブル「指定管理者制度と情報公開」を開催します。会場は神戸大学、学会通信に掲載の案内文を以下に転載します。自治体職員の皆様はじめ、この問題に関心をお持ちの多くの皆様のご参加をお待ちしております。どなたでも参加できます。
 ゲスト報告者の田中孝男先生(九州大学大学院 法学研究院)は行政法学・自治体法務がご専門です。田中先生ののHPはこちら→http://www1.ocn.ne.jp/~houmu-tt/tanaka/tanakatopleft.html

指定管理者制度と情報公開
コーディネーター:瀧端真理子(追手門学院大学
報告者:瀧端真理子(追手門学院大学)、
    田中孝男(九州大学) 
 
 指定管理者の選定が二巡目に入る施設が増加する中、指定管理者の選定方法や選定プロセスの透明化、当期指定管理者に対する評価結果を次期選定にいかに反映するか等考えるべき課題は多い。指定管理者の選定・評価に対しては、設置者からの積極的情報公開が望まれよう。本ラウンドテーブルでは、まず瀧端が、神戸市立須磨海浜水族園の指定管理者交代の経緯を調査する過程で、指定管理者応募書類の情報公開請求を行ったが、これに対して非公開決定通知を受けたため、神戸市長に対し「行政不服審査法に基づく異議申立て」を行った経緯を報告する。そこで、田中氏から、指定管理者制度に関する情報公開の課題を、企業の営業秘密の保持といった自治体当局側の理屈や、行政法学・自治体法務の観点からの法解釈論を紹介するとともに、望まれる立法政策、条例論のあり方を解説していただき、この問題に対する理解を深めることを目的としたい。
 

 日時:2010年9月20日(月)13:30〜16:00
 会場:神戸大学発達科学部
 アクセス:神戸大学HP  http://www.kobe-u.ac.jp/info/access/rokko/rokko-map.pdf

 参加費:9月18日〜20日の学会大会全体を通して2,500円(学部生1,000円、会員の大学院生は、身分証提示の場合のみ1,500円)

  学会HP:http://shakyogakkai.org/taikai/taikai10-2.html

 (注)応募書類の情報公開請求に対し、現指定管理者分は部分公開、旧指定管理者分については非公開決定通知を受けたため、異議申立てを行いました。9月16日に、神戸市情報公開審査会に、意見陳述に行く予定です。なお、指定管理者候補者選定委員会の記録一式は、情報公開請求の結果、部分公開されました。

エーゲ海の真珠(1)

 若干、逃避モードでまた例年のようなダラダラした旅行記を書いてしまいました。何なんでしょう。適当に読み飛ばして写真だけご覧下さい。
 そもそも今回、なぜギリシアに行ったかと言うと・・・。若い頃、ポールモーリア楽団の「エーゲ海の真珠」(←クリックすると音が出ます、注意)という曲が流行っていた。特にファンという訳ではないが、耳にタコができるほど自然と聞いていた(深夜放送からか?)。
 それと、小田実さんの『何でも見てやろう』で、特にギリシアの話が面白くて刺激を受けた。むろん時代が違うし、小田さんは古代ギリシアギリシア文学を専攻していたので、ギリシア語ができたのだ。
 JALマイル利用なので、入口になる空港は限られる。とりあえず、ローマ往復だけを予約しておいて、あとは何とでもと思っていたら、ギリシア財政危機・スト報道。クロアチアも行ってみたかったし、イタリアもほとんど知らない。行き先や旅程は迷いに迷った。多くの日本人が、クロアチアギリシア間の移動を考えるようだが、中々これが難しい。クロアチアから空路フランクフルトに戻り、そこからアテネに飛ぶのが一番早くて安全、みたいな。最初は欲張ってクロアチアを含むコースを立て始めたが、諦めた。
 結局、ローマ―アテネエーゲ海の島―アテネ―ローマという禁欲的プランになった。今、ギリシアへ行くことの不安は残ったが、直前、かたつむりさんが無事、ギリシアから帰国されたのを見届けて、大丈夫だろうと判断した。
 前置きが長くなった。要約すると、「何でも見てやろう」を実践しただけで、高尚な理由は何もないということ

 8月19日(木) ローマ・フィウミチーノ空港から無事、オリンピック航空機は飛び立った。ギリシアキャビンアテンダントがすごい。長身で顔立ちがはっきりしていて、うわ〜彫刻みたい!乗るとすぐに飴を配ってくる。飴のことを「キャラメル」と。そして、滑走路を走っている間に、非常用のチョッキ装着説明。離陸していつの間にか、ウトウトしていたら、「マダム」と声を掛けられる。・・・なんと、軽食サービス付き。食事もおいしかった。そして、テキパキと食器を片づけ、すぐにアテネ到着。お客は、普通に携帯やデジカメ触っているし、着陸するとすぐに飛行機のドアが、前後2つ空いた。ので、すぐ降りられる。
 あまりの合理性、テキパキ度に驚く。JALとはあまりに違う。サービスということに対する考え方の違いか。JALは昨年から、成田―ヨーロッパ線の、最初のおつまみ・ドリンクサービスを廃止、明け方の軽食・ドリンクサービスを廃止している。要は、離陸後と着陸前2回、食事と飲み物が出てくるだけで、灯りを消して寝ていなさい時間が耐えがたく長い。アテンダントは親切で頑張っていると思うが、やたら丁寧なだけがサービスと、社内的に勘違いしているのではないか。私は、オリンピック航空みたいな無駄のない動きの方が好き。それと、JALは行き帰りともエコノミークラスのキャビンアテンダントが、ベテランばかりであった(人件費高そう〜と思ってしまった)。
 
 アテネの空港から、街中までは地下鉄(と言っても、途中までは地上を走る)。隣に座った男の子の髪の毛がくるくるの巻き髪で、あ、これも彫刻みたい、と思う。つまり、ギリシア人にとって、私たちが石膏像で見慣れているような彫刻というのは、普通のギリシア的顔立ちなり容姿なのだ、ということに気づく
 宿を取ったモナスティラキ駅の地上に出て、なにやらすごい丘のようなものが目の前にあって驚く。も、もしかしてこれがアクロポリスの丘とか??
 その日は自信がなく、ホテルを探すのに精一杯。落書きのいっぱいある入り組んだ道を歩き不安のうちにホテルに到着。夕飯を食べに外へ出て、人が多そうなタベルナ(食堂)に入る。ソーセージとチキンの焼いたのを食べたが、付け合わせの温野菜も含め、非常においしかった。ギリシア料理がおいしいというのは本当だ。

 8月20日(金)朝、フェリーの時間がよく分からないが、GREEK ISLAND HOPPING 2010によれば、ピレウス港発サントリーニ行きフェリーは7:15に出る可能性が考えられる。地下鉄の始発は5:30〜と書いてあるので、始発に乗ろうと考えた。写真はピレウス港。
 実は、クルーズ以外に個人でエーゲ海の島に行く場合、日本語サイトでは情報収集が困難だ。トーマスクックの時刻表には、フェリー情報は、上記のGREEK ISLAND HOPPING 2010を見なさいと書いてある。この本はAmazonで簡単に買えたが、出発直前だったので、この本を頼りにさらに最新ダイヤを検索する余裕がなかった。
 GREEK ISLAND HOPPING 2010のオンラインサイトはこちら。→http://www.greekislandhopping.com/

 写真はアテネピレウス港。
 とにかく港に行けば、最新ダイヤが分かるだろう・・・と、ピレウス港に着いて、乗る予定のHighspeedという高速船を出しているHellenic Seawaysの券売所に行く。窓口の女性に、あと10分で出る、売り場はあっちの窓口だからあそこに行きなさい、と言われる。走る・・・で、切符を買って7:10発というHighspeed6に乗る。乗るとすぐに、ブリッジが上がる。駆け込み乗船! しかし、変だな〜私の時計はまだ6時過ぎなのに〜。チケットには、7:10発と書いてある。一人で深く悩んだ。船内にTVがある。時刻表示を見ると、私の時計より1時間早い。・・・もしかして、ローマ―アテネ間には、時差があるのか??

 よく無事に、船に乗れたものである。
 さて、船は、島に接岸。船を降りる準備をする人、デッキで写真を撮る人。私もとりあえず、写真を撮ってから降りる準備をすると、係員に、「ノー・サントリーニ!」と言われる。中継地点か・・・どうもイオス島だったようだ。危ない危ない。何時にどこに寄港するかもわからなかったのだ。写真はイオス島の港。

 さらに1時間ほどしてサントリーニ(ティラ)島到着。今度は全員降りる。写真は、バスから写したアティニオス港(新港)。この赤い船に乗ってきた。

 港にもフィラの町のバス停にも、宿の客引き多数。私は予約していたのだが、そのホテルがどこにあるのか、さっぱり分からない。バス停には地図もない。何軒かの店で聞いても分からないと言う。声をかけてきた客引きのおばさんに聞いたら、親切に教えてくれた! 写真はフィラのバス停に貼ってあるバス時刻表。これを見ながら移動する。

 さて、ホテルのおじさんは大変親切で、島全体のマップと、フィラの町の地図をくれて、見どころをあれこれ教えてくれる。行きたかった火山&温泉ツアーを尋ねると、ここでチケットが買える(売れる!)という。2時と6時というので、2時を希望すると、暑いから止めとけ、という。で、6時のチケットを購入。小さな港だから旧港へ行けば分かるという。
 一番行きたかったアクロティリ遺跡は、事故後まだ再開されていないという。
 ローマで買った水着とスイムウェアの上にタンクトップ、ビーチサンダルで出発。

 町をぶらぶらしつつ、まずは、Museum of Prehistoric Theraへ。この博物館は、アクロティリ遺跡の出土品を展示している。写真は、紀元前17世紀の壁画。


 ゴンドラリフトで旧港に降りてVolcano&Hot Springs Tripの船に乗る。写真は、崖の上から見下ろした旧港。

サントリーニ島対岸のネア・カメニへ行き、そこで乗客は全て船を降りる。


 ガイドはつかず、三々五々、坂道を登っていく。ギリシア語が全く分からないので、何時に船に戻ればいいのか分からず、とにかく皆についていくことにする。お鉢を3つ位回る。先頭を行く気のいいおじさんにしっかりついて行くと、彼はコンニチハ、サヨナラとか言える。日本に2カ月いたのだという。大阪、福岡、播磨にいたと。造船関係だろうか・・現在はクレタ島に住んでいるそうだ。

 硫黄がまだかすかに噴出している箇所もあった。

 こんなところに取り残されたら、死んでしまうよな〜と思った。水がないのだもの
 下りで、ド派手なブラジルから来た女性4人組みと出会う。
 さて、船は、次の目的地、温泉のあるパレア・カメニに進む。島の近くに止まると、泳げる人は行きなさい・・・で、クレタの彼が真っ先に飛び込む。船が停泊している場所の水深は20mとか。半分くらいの人が飛び込んで、温泉のある入り江に泳いで行く。梯子がおろされて、船の救命浮輪を借りて行く人もいたので、私も貸して、と頼んでみるが、もうないらしい。泳げないならここにいなさい、みたいに言われて、とりあえず、梯子を降りて海に浸かってみる。魚が泳いでいる。梯子を放してみるけど、とても岸まで泳ぐ自信(覚悟?)はない。岸まで50mはありそうだ。そのうち、上がってこい!と言われてしまう。



 泳いでいった人たちは、気持ちよさそうに、温泉に浸かっているではないか。
 この日のために水泳というものは、存在したのだ。このことを子ども時代に知っていれば、頑張って水泳の練習をしたものを。子どもの頃には、なぜ、泳ぐ必要があるのかなんてまるで理解できなかった。それは英語学習も同じ。なぜ、勉強する必要があるのか、子ども時代、学生時代には全く理解できなかった。
 人生をより楽しく生きるために、体育とか、勉強とかは存在したのだ。でも、それを先に実感することは難しい。
 私たちの船が出る頃、先ほどのブラジル女性たちが、タクシーボートでやってきた。これだと、浅い入江までボートで送ってもらえる。やられた! あ、浮き輪持参という方法もある。
 船は、オールドポートへ向かう。夕暮れのフィラの町。